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この記事の目次
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「大久保嘉人のパパは目指すぜ!GOLF80台」
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■日時:3/19(土) 13:28〜
■放送局:テレビ東京 pic.twitter.com/YdtCO3cPUt— 大久保嘉人 (@Okubonbon13) March 18, 2022
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「大久保嘉人のパパは目指すぜ!GOLF80台」の出演者
大久保嘉人(元サッカー日本代表)
鈴木啓太(元サッカー日本代表)
解説:宮本勝昌(プロゴルファー)
進行:佐藤美希(2代目Jリーグ女子マネージャー)
VTR出演:芹澤信雄(プロゴルファー)
「大久保嘉人」について
「大久保嘉人」は、福岡県京都郡苅田町出身の日本の元プロサッカー選手。元日本代表。ポジションはフォワード。
史上初の3年連続Jリーグ得点王(2013年 - 2015年)であり、J1通算最多得点記録保持者 (191得点)。
J1通算最多イエローカード記録保持者 (104枚)。J1通算最多シュート数記録保持者 (1135本)。
プロ入り前
幼少時は父親が購入したペレやディエゴ・マラドーナのビデオを繰り返し見たり、父親と一緒に釣りに行ったり野球に親しんでいた。小学校3年時に苅田サッカースポーツ少年団に入団し、本格的にサッカーを始める。当初はストッパーの位置でプレーしていたが、小学校6年時よりFWの位置でプレーするようになった。1994年にはU-12福岡県選抜チームに選出された一方で陸上競技にも取り組み、全国小学生陸上競技交流大会に出場した他、鹿島アントラーズと横浜マリノスとの試合の前座で、北九州市選抜チームの一員として福岡県の別のチームと対戦した際に5得点を挙げ、鹿島サポーターから「大久保」コールを受けるという経験もした。
三浦淳宏や永井篤志を擁して1992年度の全国高校サッカー選手権を制した長崎県立国見高校に憧れ、小学校卒業後に長崎県へ渡り国見町立国見中学校に入学。国見高校のサッカー部総監督であった小嶺忠敏が中高一貫でサッカーの指導をするために作った「小嶺アカデミースクール」に入る。国見中学校では2、3年とも全国大会ベスト8に入り、U-15長崎県選抜チームに選出された。
1998年、国見高校に進学。2年生でレギュラーを獲得し、3年時の2000年、松橋章太らとともにインターハイ、国体、選手権を優勝し、高校三冠を達成した。ドリブル、パス、シュートを高いレベルで兼備しインターハイでは10得点、高校選手権では8得点を挙げてそれぞれ大会得点王を獲得した。天皇杯全日本サッカー選手権大会には、長崎県代表として2年時 (1999年度) ・3年時 (2000年度) の2度出場した他、U-19日本代表に選出されてAFCユース選手権2000にも出場した。
セレッソ大阪
複数のJクラブによる争奪戦が展開されたが小嶺からはセレッソ大阪かアビスパ福岡を勧められ、2001年に目標の森島寛晃が在籍するC大阪に加入。同年3月17日にJ1・1st第2節浦和レッドダイヤモンズ戦に途中出場しJリーグデビューを果たす。ナビスコカップ1回戦ジュビロ磐田戦の先制点がプロ初得点。1st第5節磐田戦でリーグ戦初得点を挙げたが、前半32分に田中誠との口論の末に両者にレッドカードが提示され退場処分を受けた。田中とはその後Jリーグアウォーズの場で和解している。その後、左三角靱帯損傷によって同年開催のワールドユース出場を逃し、リハビリ中の筋力トレーニングでキレを失ったこともあってリーグ戦も大半が途中出場で通年2得点に留まった。同年末、C大阪は総合成績で16位となりJ2へ降格したが、高校時の恩師小嶺や先輩に相談を仰いだ上でC大阪残留を選択した。
2002年は、J2第3節湘南ベルマーレ戦の2得点で自信を取り戻すと、好調を維持して29試合に出場し、アルビレックス新潟のマルクスに次ぐ得点ランキング2位の18得点を記録して1年でのJ1復帰の原動力となった。また、アテネオリンピックに向けた日本代表に選出。
2003年のJ1では通年で合計24試合に出場し、日本人最多得点となる16得点を挙げた他、史上最多得票でオールスターに選出され、同年末にはAFC選出のアジア年間最優秀ユース選手賞を受賞した。U-22代表として活躍する傍ら、同代表の石川直宏及び松井大輔と共にジーコ率いるフル代表にも招集され、5月31日に行われた韓国との国際親善試合に65分から鈴木隆行との交代で出場。国際Aマッチデビューを飾り、同年の国際Aマッチ出場は14試合を数えた。
2004年のJ1は22試合出場15得点。2nd第5節では苦手としていたジェフユナイテッド市原戦でプロ入り後初のハットトリックを記録した。また、同年3月まで開催されていたアテネオリンピックアジア地区予選では2戦連続得点でチームの窮地を救い、7月にU-23日本代表としてアテネオリンピック本大会に出場した。同大会では1勝2敗でグループステージ敗退となったが、個人としては3試合に先発出場し、パラグアイ戦では81分に、ガーナ戦では37分に決勝点となるゴールをそれぞれ挙げた。
RCDマヨルカ
オリンピックで活躍がきっかけとなり、2004年11月にリーガ・エスパニョーラ所属のRCDマヨルカへ期限付き移籍が決定。監督のエクトル・クペルからの評価は好意的で、選手登録が解禁された直後の2005年1月10日、第18節デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦で初出場。ルイス・ガルシアの得点をアシストし、自身も1得点を挙げる好デビューを飾ったが、そのデビュー戦で負傷した影響で戦線離脱すると、復帰後も出場機会は限られた。しかし残留争いが佳境となった終盤戦には控えとなったガルシアに代わって先発出場し、第36節アスレティック・ビルバオ戦及び第37節デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦でそれぞれ1得点ずつ挙げた他、2アシストとPK獲得の活躍でマヨルカの奇跡的とも言える1部残留に貢献した。シーズン終了後、UEFA選出スペインリーグ・若手ベストイレブンを受賞。
マヨルカからの評価は高く、C大阪との移籍期間延長交渉を経て2005-06シーズンもクラブに残留。しかし同シーズンは途中出場が大半で、シーズン途中に監督に就任したグレゴリオ・マンサーノ体制下でのさらなる出場機会減に危機感を抱き移籍を決意。移籍期間満了後に移籍が決定した。スペインでの通算成績は39試合5得点6アシスト。後に、不遇を託ったことでより良いプレースタイルを考えることができたと述懐している。
オリンピック以後も継続的にフル代表に招集されていたが、得点を挙げられないまま2005年10月のヨーロッパ遠征を最後に招集されなくなり、2006年のワールドカップ出場を逃した。結局、ジーコ体制下では無得点に終わった。
セレッソ大阪復帰
2006年6月、セレッソ大阪へ復帰。低迷するチームを救うべく登録直後から出場を続けたものの6戦無得点。復帰後7戦目の京都パープルサンガ戦で2得点を挙げ、その後はチームと共に復調を見せたが、最終順位は17位となり、J2へ降格した(個人記録は21試合出場6得点)。
ヴィッセル神戸
2007年1月、急遽ヴィッセル神戸からのオファーが報じられ、移籍金3億円で同クラブへ完全移籍。同年は三浦淳宏の負傷もあり、監督の松田浩に自ら進言して左ウイングバックでプレー。このコンバートによって「チームのことを考えてプレーできるようになった」と述懐している。主将にも就任し、精神面・技術面でチームを牽引。リーグ戦では14得点をあげた。
2007年8月にはカメルーンとの国際親善試合で約1年10カ月ぶりに日本代表に復帰。10月に行われたエジプトとの親善試合で1試合2得点を挙げ、国際Aマッチ出場21試合目、初選出から4年越しでの初ゴールを記録した。以後、2010年のワールドカップを目指す日本代表の主力に定着。2008年開催のオリンピックには選出されなかった。
2008年は、開幕前のワールドカップ予選・タイ戦で貴重な勝ち越しゴールをあげる活躍もあったが、同時に右ひざ半月板損傷を負った。3月のワールドカップ予選選出も危ぶまれたものの、2節川崎戦で戦列復帰し、1ゴール2アシストの活躍を見せ、代表追加招集が発表された。6月のオマーン戦で、相手GKアリ・アル・ハブシと接触した際、アル・ハブシを蹴り一発退場を受け、残りの予選3試合は出場停止処分となった。また、反町康治率いる北京オリンピックにOA枠での選出の噂もあったが、破談している(後述)。チームにおいては、より多くのボールを受けるべく、シーズン当初のFWから再び左MFへポジションを変更し牽引。2年連続の二けた得点を達成した。
VfLヴォルフスブルク
ブンデスリーガ・VfLヴォルフスブルク監督のフェリックス・マガトの強い希望により、2009年1月に同クラブへ完全移籍。移籍金交渉は難航したが、移籍を望んだ本人の意向に添う形で、神戸側が最終的に譲歩し、推定2億5000万円で合意。
オーバーヘッドシュートを放った事が理由でマガトの怒りを買ってベンチ入りメンバーから外されるという経験もしたが、ドイツのサッカーに慣れるに従い、相手選手に体をぶつけられても倒れることなくドリブルで進めるまでになった。この経験について大久保自身は取材に対し、「試合に出れなくて、まぁ、いいや、って思ったら、もう終わりよ。(中略)サッカー選手をやっている以上は、出たい、出たい、って感じで練習もするやん」というコメントを残している。2008-09年度シーズンにおいて、長谷部誠と共にクラブ史上初となるドイツ国内主要サッカー大会初優勝達成を経験したが、大久保自身は、ポジションの重なるグラフィッチやエディン・ジェコが好調で彼ら大柄な選手に合わせたサッカーが展開されていたこともあって、出場機会は乏しかった。自身を評価するマガトの退任とワールドカップ出場を見据え、1シーズンでの移籍を決断。
ヴィッセル神戸復帰
2009年6月、ヴィッセル神戸へ復帰。シーズン終盤は2008年からオフなしで試合をこなしていた影響でスタメンを外れる試合もあったが、シーズン途中加入でチームトップタイの8得点を挙げた。
2010年は、開幕前の東アジアサッカー選手権の韓国戦で左膝内側側副靭帯損傷の負傷で全治6週間と診断されるが、リーグ開幕戦は膝に包帯を巻いて出場。4月には鼻骨骨折に見舞われるなど、ワールドカップメンバー入りに暗雲が垂れ込めていたが、2010年5月10日、ワールドカップ南アフリカ大会に臨む代表メンバーに選出された。強化試合として行われた韓国戦、イングランド戦、コートジボワール戦に出場し、本大会ではグループリーグ三試合と決勝トーナメント一回戦に左サイドハーフとして先発出場し、攻守に奔走する献身的プレーで日本の2大会ぶりとなる決勝トーナメント進出に貢献した。
帰国後も最前線で起用され、ゴールをあげていたものの、14節湘南戦で自身の著書で「もう試合終盤かと思ったらまだ前半2分だった」と語るほどの極度の疲労に襲われる。その後、燃え尽き症候群を発症。ワールドカップ期間中に痛めた左膝の手術も行い長期離脱。その後も筋肉系の故障を多発。チームの守備的な戦いも影響し、リーグ戦は通年で17試合4得点に終わった。
2011年は細かい怪我はあったものの大きな離脱はなくリーグ戦30試合出場9得点を挙げた。J1第20節浦和戦でJリーグ通算100得点を記録(J2含む)。移籍の噂もあったもののクラブとの契約を延長した。
2012年は自身の希望もあり、背番号をC大阪在籍時以来の「10」に変更。近年見せていた中盤でのプレーでなく得点への注力を希望し、開幕戦のガンバ大阪戦ではFWで起用され2得点を挙げるなど序盤は好調ぶりを見せていた。しかし、新加入選手が多くチーム戦術や共通意識が定まらずに、中盤に下がらざるを得ない状態となってゴールから遠ざかり、第7節柏レイソル戦で負傷。2週間ほどで復帰したが、以降はコンディションが上がらず、リーグ戦26試合4得点と低調に終わり、クラブも降格した。契約期間を1年残しており神戸に残留するつもりでいたが、最初の契約交渉時に態度を保留したところクラブからの慰留は無く移籍を勧められ、本年限りでの退団を余儀なくされた。
川崎フロンターレ
2013年、熱心なオファーのあった川崎フロンターレへ2年契約で完全移籍。川崎では自身の役割が得点に特化されたことにより、無駄なファールやスタミナの消耗も減って本領を発揮。シュート精度も向上して多彩な得点パターンで相手DFを脅かし、第16節浦和戦でJ1通算100得点を達成。その後も磐田戦、大分トリニータ戦など終了直前に決勝点を挙げる試合も多く、チームを牽引。自己最多の26得点を記録し得点王に輝いた。
日本代表には2012年2月のアイスランド戦以来招集されていなかったが、2013年以来の好調が持続していたことやFW柿谷曜一朗やMF香川真司の不調もあって、2014年5月12日にワールドカップブラジル大会の日本代表にサプライズ選出された。翌6月の親善試合ザンビア戦では、2008年以来となる国際Aマッチでの得点を記録した。多様な能力を兼備するオールラウンダーでありポジションはどこでもできるとの自身の言葉通り、FW、トップ下、両サイドハーフで構想され、チームを活性化させたものの、本大会では途中出場の第1戦コートジボワール戦、右サイドハーフで先発し決定機を外した。第2戦ギリシャ戦及び第3戦コロンビア戦のいずれも得点できず、グループリーグで敗退した。
Jリーグでは昨季の得点王として強いプレッシャーを感じながらも得点量産を続け、同年9月のJ1第25節大宮アルディージャ戦でC大阪在籍時以来となる10年ぶり2度目のハットトリックを達成。第25節でのハットトリックはJリーグ創設以来最遅。通年では18得点を挙げ2年連続の得点王を獲得。単独での2年連続得点王はJリーグ開幕以来初となった。なお、同年8月30日のJ1第22節名古屋グランパス戦でカルビーの広告看板を蹴って損壊させたことで2試合の出場停止処分を受けている。
FC東京からのオファー等があったもののも契約を更新し川崎に残留。2015年、1st第7節ヴァンフォーレ甲府戦でJ1通算139得点目を挙げて三浦知良の持つ記録に並び、同第9節FC東京戦で140得点目を挙げて単独4位となった。ゴールパフォーマンスではカズダンスを披露した。同年9月、2nd第11節名古屋戦にて自身3度目となるハットトリック及びJリーグ史上4人目となる通算150得点を記録。通年では23得点を挙げ、Jリーグ史上初の3年連続得点王を獲得し日本屈指のストライカーとして名を馳せた。
2016年もゴールへの嗅覚は冴え、1st第3節名古屋戦でJ1歴代最多タイの通算158得点を挙げ、同6節サガン鳥栖戦でJ1新記録159得点目を記録。通年ではリーグ戦33試合に出場。4年連続の得点王こそ逃したが、日本人選手最多タイとなる15得点を記録した。周囲からは攻撃的サッカーの中で活躍を続けていたように見られていたが、大久保自身は同年のチームはミスを怖がり縦パスを狙えなくなってしまったと感じており、変化を求めていた。同年末の契約満了に伴い、川崎からの慰留も含めて複数クラブによる争奪戦が展開された。なお、同年開催のオリンピックには選出されなかった。
FC東京
FC東京からの2年ぶりの再オファーに熱意を感じ、2017年に同クラブへ完全移籍。3月18日、第4節の川崎フロンターレ戦では古巣からゴールを奪って移籍後初得点を決めた。シーズン半ばに監督・篠田善之が解任されると、新監督の安間貴義の元ではシャドーとしてプレーする機会が増えた。この起用について安間は「ラストパスを出せるのが嘉人しかいない」と語っている。最終的にJ1リーグ戦28試合出場、8得点を記録した。
川崎フロンターレ復帰
2018年、川崎から復帰オファーを受け、1年で同クラブに完全移籍で復帰した。名古屋戦と鹿島戦では得点を挙げるも復帰後はレギュラーでは無く途中出場が多かった。
ジュビロ磐田
ロシアW杯によるリーグ戦中断期間中の6月、得点力不足解消のため大久保に白羽の矢を立てたジュビロ磐田監督の名波浩から獲得のラブコールを受ける。5月5日のFC東京戦以降は登録メンバーから外れることが多くなり、『引退』を考え出していた大久保自身も「もう一度輝きたい」という思いから磐田への移籍を決断。2018年6月26日、両クラブを通じて完全移籍が発表され、背番号は「22」に決定。同年8月19日、J1第23節・対柏レイソル戦で移籍後初得点を挙げた。この得点により、佐藤寿人に次いで史上2人目となるJリーグ通算200得点を達成した。さらにその試合で通算100枚目のイエローカードを貰っており、試合後に監督の名波から「大久保が200ゴール、そして100枚目のイエローカードと非常にメモリアルなゲームになったと思っています」とネタにされている。J1第34節・古巣の川崎と対戦では、後半33分に松本昌也のクロスをヘッドで叩き込み、先制点を挙げた。しかし磐田が後半38分、後半90+4分に失点し1-2で敗れたため、最終順位が16位となり、J1参入プレーオフに回った。
2019年シーズンは、J1通算200得点を目標に開幕戦から第7節までスタメン出場するも得点は決められず、徐々に出場機会が減少。第16節には名波浩が監督を辞任し、その後も鈴木秀人→フェルナンド・フベロと相次いで監督が交代する事態となったが、出場機会は増えなかった。11月30日に行われた第33節の名古屋戦では、負ければ降格が決まる中でシーズン初ゴールとなる決勝ゴールを決めた。しかし、残留を争っていた湘南が勝利したため、チームは降格となった。プロキャリアでワーストとなる1得点でシーズンを終えた。12月12日、契約満了により同シーズン限りでチームを退団する事が発表された。
東京ヴェルディ
2020年、J2の東京ヴェルディへ完全移籍。出場は19試合となり、PKを外すなどチームに得点で貢献することができないまま一年でチームを去ることになった。なおシーズン無得点は自身初となる。
15年ぶりのC大阪復帰
2021年1月9日、15年ぶりとなるセレッソ大阪への復帰が発表された。開幕戦でチームのシーズン第1号弾を決めた。15年ぶりの得点は、J1の同一チームで最長ブランク弾である。3月6日、第2節のFC東京戦では1ゴール1アシストで3試合連続ゴールを決める活躍をした38歳8カ月25日での3戦連発は、2004年の三浦知良を超えJ1史上日本人最年長記録。開幕から5試合で5得点と下馬評を覆し、ストライカーとして復活を印象づける活躍をみせたが、その後はチーム全体の戦術への迷いからボールが回らなくなった事や、チームでの新型コロナウイルスによる影響や第12節に負傷したことなどで、試合から離れた時期もあり得点から遠ざかった。現役オーストラリア代表のアダム・タガートの合流後も出場機会を確保し続け、誕生日に迎えた天皇杯2回戦ガイナーレ鳥取戦では、ヨドコウ桜スタジアムでのチーム第1号弾を決めた。また、ACLでも得点を記録した。11月19日、クラブからは契約延長の提示を受けていたが、2021年シーズン限りでの現役引退を発表した。小菊昭雄監督就任以降も、出場機会を保ち続けルヴァンカップ決勝、天皇杯準決勝に出場、Jリーグ最終戦となった第38節清水エスパルス戦(IAIスタジアム日本平)では、清武弘嗣のコーナーキックを折り返し、相手のオウンゴールを誘うなど、離脱期間以外は主力として出場した。
プレースタイル
日本最強とも評されたストライカー。フォワードとしてマルチな能力を有する他、ボランチやサイドハーフとしても高い能力を持つオールラウンドプレイヤーである。戦術練習でトップ下、右MF、左MF、ボランチを試され、2012年〜16年まで川崎で指揮をとった風間八宏からは「どこをやっても一番うまい」と評されている。川崎移籍後にシュート精度を向上させ、2013年から3年連続で得点王を獲得している。
プロ1年目のセレッソ大阪加入時は森島寛晃のプレーを目標にしており、「あの運動量と、スペースを見つけて飛び出して決定的な形を作るという能力は、誰にも真似できません。僕も森島さんのようなプレーができるようになりたいと思っています。」と公言していた。また、クラブから「能力、度胸ともに新人離れしたものを持つ」と評された。先輩にも臆することなくパスを要求した新人時代を、30歳を超えて振り返った際には「若いヤツはそれでいい。遠慮する必要はないし。人生かかってるから。それで恥ずかしくて自分が出せない選手は、そこまでの選手で。そういう選手がもっと出てきたら良い」と話した。
ペナルティーキックを得意とする。大久保曰くPKは「めちゃくちゃ緊張」するので「嫌い」とのことだが、得点で勝利に貢献したいという気持ちからキッカーを務めている。J1通算100得点目も中村憲剛が獲得したPKを決めている。PK時のリラックス法は「外すことを考えること」。現役時代は36本を蹴り27本を成功させた。
久保竜彦からは「一緒にやったFWで一番スゴいと思ったのが嘉人でした。猫っていうか、チーターっていうか、体の使い方がうまい」と評されている。
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