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この記事の目次
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「突然ルール旅」
普通の楽しい旅と思いきや…突然ルールが発動!アンタッチャブル&タカトシが罰を受けまくる笑い旅!英語はネイティブに…ツッコミ禁止…クイズに答えられないと…
「突然ルール旅」の出演者
【MC】
アンタッチャブル タカアンドトシ
【ゲスト】
矢田亜希子
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「アンタッチャブル」について
「アンタッチャブル」は、プロダクション人力舎に所属する日本のお笑いコンビ。略称は「アンタ」。爆笑オンエアバトル第6代チャンピオン(2003年度)、M-1グランプリ2004王者。
1994年、人力舎が運営するタレント養成所・スクールJCAの3期生によって現在のコンビを結成。
1990年代半ば、『ボキャブラ天国』(フジテレビ)シリーズへ出演。
1990年代後半 - 2001年、海砂利水魚・アンジャッシュと共に結成したユニット『ゲバルト一族』のオムニバスライブで人気を博した。
1999年、『爆笑オンエアバトル』(NHK総合テレビ)に第2回から出演、毎回高KBを記録し衆目を集める。
2003年、『M-1グランプリ』(朝日放送)で敗者復活戦を勝ち上がり、最終決戦へ進出(結果3位)。これをきっかけにテレビ出演が増加。
2004年3月、2003年度末の『爆笑オンエアバトル』第6回チャンピオン大会優勝。第4回を除く全てのチャンピオン大会に最終決戦まで出場するも、毎回優勝を逃していたが第6回において優勝を果たした。北見収録回では2004年度1位・歴代2位・自己最高の541KBを獲得している。10月から『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日)へレギュラー出演。その年末に『M-1グランプリ2004』にて優勝を成し遂げる。
2005年4月から『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日)にてレギュラー出演。
2007年5月、恵比寿ザ・ガーデンルームで芸歴14年目にして初の単独トークライブ「アンタッチャブルトークライブ『っていうか、断りゃよかった。』」を開催。
2009年8月、草月ホールで「アンタッチャブルのシカゴマンゴ“他力本願”ライブ2009」を開催。
2010年2月 - 2011年1月の間、柴田が体調不良と女性トラブルにより芸能活動を一時休業した。
柴田の休養以降、コンビ活動は実質停止。柴田の復帰後も番組出演時は一部を除いて多くの場合でコンビ名が後ろに表記されているが、それぞれがピンで活動している状態が10年間続いた。休業前からコンビでレギュラー出演していた番組は、柴田が降板して山崎のみの出演だった。
2019年11月29日放送のフジテレビ『全力!脱力タイムズ』に柴田がゲスト出演、番組終盤に山崎がサプライズで登場した。12月8日放送の『THE MANZAI 2019』では約10年ぶりに新ネタを披露。収録後には宣材写真を更新し、本格的なコンビ活動を再開させる。
「アンタッチャブル」のエピソードについて
ネタは主に2人で作っている。芸人のネタ作りは基本的に大まかな内容を決めた後でボケを考え、ツッコミのワードを組み込んでいくパターンが多いがアンタッチャブルの場合は逆で、最初に柴田がツッコミのワードを考えた後でそれに合わせて山崎のボケとネタの構成を考えている。
台本は存在するものの山崎がそれを覚えきれないため、台本の途中途中のキーワードに戻るまではお互いアドリブの応酬となる。伊集院光は「歌に戻れなくなるギリギリのところまでお互いが精一杯のアドリブをする」ことから、アンタッチャブルの漫才をジャズに例えている。
爆笑オンエアバトル
NHK総合テレビで放送された『爆笑オンエアバトル』は放送開始当初から出場し好成績で活躍、2003年度には先述の通り6代目チャンピオンとなる。
初オンエアは1999年4月3日放送回の第2回で、498KB(キロバトル)を得て1位で通過する。4月10日放送回も出場して467KBで1位通過。2週連続で同じ芸人が1位通過したのは、アンタッチャブルが初めてかつ唯一である。
1999年7月10日放送回に、312KBで初めてオフエア(オンエアなし)となったネタは「娘さんをください」であった。 その後第1回チャンピオン大会予選で同じネタを披露したが、201KBで8位敗退した。
その後も常連として数多く出演し、オーバー500獲得回数7回で歴代4位となった。チャンピオン大会は第4回大会を除いて第7回まで全て出場している。
第5回チャンピオン大会は818KBでファイナル2位となり、チャンピオンは同じ人力舎所属のアンジャッシュだった。
2003年の第6回大会では、ファイナルで954KBを獲得して第6代目チャンピオンとなった。
M-1優勝1か月前の2004年11月27日放送回(北海道・北見収録)に出場。パーフェクトまで1ボールの541KBを得たが演目が完成しないままで収録現場へ到着した直後に疲れた2人は眠り込み、本番1時間前ぐらいに目覚めて必死に完成させたと2008年12月30日放送回の爆笑オンエアバトル10周年企画「ヒーローたちの伝説ネタSP」で本人たちが語った。
M-1優勝後の第7回チャンピオン大会ファイナルにシードで出場して926KBを獲得するも、986KBのタカアンドトシに及ばず2位となった。
コンビでは初めて爆笑オンエアバトルとM-1グランプリの両方で優勝した。 NON STYLEも爆笑オンエアバトルの9代目チャンピオンかつM-1グランプリ2008で優勝している。
当番組ではゴールドバトラーとプラチナバトラーの両方に認定されている。
披露していたネタは主に漫才だったが第2回チャンピオン大会は予選・決勝共にコントを演じ、2001年12月22日放送回はコント「組体操」を披露するも257KBで6位オフエアとなった。これが通常回で唯一のコントであり、連勝オンエア記録は8でストップした。
M-1グランプリ
2003年(第3回)大会
準決勝進出だったが、敗者復活枠から決勝初進出を果たす。ノーシードの敗者復活も初であった。最終決戦では票が入らず3位だったものの、大会委員長の島田紳助からは「来年は本命じゃないかと思うくらい凄かった」と絶賛された。
1本目「ファーストフード店」は、柴田のツッコミに対してラサール石井から「彼(柴田)のツッコミが普通ではない。僕はもう一度それを見たい」と評された。 一部分で2丁拳銃のネタと2人とも自動ドアを開けてしまうというボケが被ってしまい、「前のコンビがウケていたからそのボケを再びやっちゃった大胆なコンビ」と思われたが、実際は決勝戦本番中の2組目の後に敗者復活枠が決定するため敗者復活組が5番目前後の演目は見られなかったので単なる偶然だったことを、木曜JUNK『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』2006年8月31日、2008年12月25日などで話題にしている。
2004年(第4回)大会
予選の段階では人力舎からあまり期待されていなかったが、決勝進出が決まると事務所は急に優勝を期待して M-1決勝の2日前に優勝賞金を当てにして事務所の改装工事が行われたものの、「M-1決勝のネタ合わせに事務所の稽古場を使いたい」と要望するも受け入れられず仕方なしに近所の公園でネタ合わせをした。この大会で柴田が着ていたシャツは矢作兼(おぎやはぎ)が2001年大会の決勝進出時に着用した物で、「自分たちの分も」と託された。スーツは上田晋也(くりぃむしちゅー)から買ってもらい、「これで獲ってこい」と言われたのを当人が語っている。
優勝候補とされた笑い飯の得点が表示され、メンバーの予想に反して点が伸びなかったため優勝候補とされるコンビのハードルの高さを知り、自分たちも同様に優勝候補とされていたことから緊張していた。
決勝のネタは「娘さんをください」で、700点満点中673点を獲得。2019年大会にてミルクボーイに抜かれるまではファーストラウンド歴代最高得点だった。 全審査員から95点以上の得点を獲得、更に全審査員から単独1位評価を受けた。審査員の島田洋七は昨年のラサールに続いて「やっぱり、眼鏡かけてるツッコミの君上手いよ」と評すると、柴田が答えようとする前に山崎が謙遜した。同じく審査員の春風亭小朝に「これ以上のネタを持ってこれるか?」と心配されるも、「息子の万引き」で7人中6票を得て優勝を果たした。
その後
2010年以来5年ぶりに復活したM-1グランプリ2015では、2010年までの歴代王者の一方が審査員に起用されたもののアンタッチャブルのみ両者ともスケジュールの都合で辞退している。
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「タカアンドトシ」について
「タカアンドトシ」は、タカとトシからなる日本の男性お笑いコンビ。吉本興業所属。略称は「タカトシ」。吉本興業札幌事務所(札幌吉本)からデビュー。札幌で活動した後、2002年に上京し、吉本興業東京本社(東京吉本)へ所属。共に北海道出身。爆笑オンエアバトル第7・8代チャンピオン。
タカ(1976年4月3日 )
北海道札幌市出身。
北海高等学校出身。
身長175 cm、体重85 kg。
本名:鈴木 崇大(すずき たかひろ)
ボケ担当。
肥満体型。
以前はライオンのキャラクター(通称「タカトシライオン」)が正面に描かれた服をトレードマークとしていたが、現在は一部の番組を除き着ていない。ただし、胸ポケットにワッペンを付けている事はある。
妻は元芸能リポーターの鈴木奈津子(2012年8月に結婚)。2児の父。
トシ(1976年7月17日 )
北海道旭川市出身。
札幌南陵高等学校出身。
身長176 cm、体重65 kg。
本名:三浦 敏和(みうら としかず)
ツッコミ担当。
坊主頭。
妻は高校の同級生の一般人女性(2010年5月に結婚)。3児の父。
1990年 - 札幌市立西岡北中学校2年生の時にコンビを結成。学園祭で漫才を披露する。当時のネタは「今何時?」「ゴジラ!」などだった。
1992年 - タカは北海高等学校、トシは北海道札幌南陵高等学校へとそれぞれ別々の高校へ進学。
1994年5月 - 高校3年生の時に、吉本興業札幌事務所主催のオーディション番組「トミーズのよしもとのもと」を受けるが落選。ネタは「レスキュー隊隊員」、太平サブローなどが審査員を務めた。同時期に、札幌吉本主催の素人勝ち抜き型お笑いライブ「吉本特選 空飛ぶイクラ SPECIAL」にも参加(このライブにまさまさきのりは初舞台として参加していた)。
1994年12月 - 12月24日放送分で、オーディションに合格。同収録にてアップダウン(当時高校2年)も合格。
1995年4月 - 高校卒業後、吉本興業札幌事務所に入りプロとして活動を始め、札幌吉本の1期生となる。芸歴は大阪NSC13期生の次長課長らとほぼ同期にあたるが、トシは「4日後輩」と発言しており、基本的に大阪NSC13期生には敬語を使っている。同時期に笑ハンティングらと共に、地方ローカル深夜番組にてコントなどを披露したほかその年の「オールザッツ漫才」にも札幌吉本の代表として出演した。この時は3分の予定だったネタを時間の都合で急遽1分に縮めざるを得なかったため構成そのものがグダグダになり、西川のりおから「お前らもう辞めろ」とこき下ろされてしまった。
1998年 - 吉本興業所属の若手お笑いコンビ4組からなるお笑いユニットnews(ニューズ)に後輩のアップダウンが選ばれ、東京進出を先に越される。このことは「初めての挫折」とたびたび言及するほどのショックだったという。
2001年6月 - 占い師に画数が悪いと言われ、コンビ名を「タカ&トシ」から現在の「タカアンドトシ」に改名。
2002年4月 - 活動の拠点を札幌から東京へ移す。
2004年 - M-1グランプリにおいて、ラストイヤーで決勝進出を果たす。結果は4位。
2005年 - 爆笑オンエアバトルのチャンピオン大会で優勝。この頃より「笑いの金メダル」などでトシの「○○か!」のツッコミが世間に知れ渡り、テレビ出演も増える。
2006年 - 爆笑オンエアバトルのチャンピオン大会で連覇。東京進出後の初冠番組であるラジオ番組「火曜JUNK2 タカアンドトシのケチャケチャラジオ」が放送開始(TBSラジオより全国ネット放送)。
2007年 - 「史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ」(TBS)にてトシが松本人志とシャッフルコンビを組んだネタが高く評価され、ゴールデン番組へのオファーが急増。「サッカーアース」(日本テレビ)で、キー局にて初メイン司会を務める。
テレビにおける初の冠番組「タカアンドトシの音楽魂か!」(東海テレビ、4月-9月)、「タカアンドトシのどぉーだ!」(北海道文化放送、4月-2009年3月)が放送開始。この頃が全国的な大ブレイク期とされている。
2010年 - メインMC番組「もしものシミュレーションバラエティ お試しかっ!」がゴールデンタイムに進出した(2015年終了)。
2016年 - 北海道観光大使に就任。
2019年 - 北海道の民放5局とNHK札幌放送局による共同キャンペーン『One Hokkaido Project』のキャンペーンソングに参加。また同キャンペーンの特別番組『みんなで道フェス!2019~どさんこの夢 応援するべさ~』のMCとして大泉洋と共に出演した。
芸風
当初は普通の正統派しゃべくり漫才だったが、2004年頃にタカのボケに対し、トシが連続で「欧米か!」などと突っ込みながらタカの頭を叩くパターンを生み出し(通称「○○か!漫才」)、定着する。ネタ作りのベースはタカが担当しているが、元々ネタの台本をツッコミの部分は細かく作らず、その部分はトシが手直しをしていた。そういったときに、タカの書いた台本のツッコミが一部分すべて「○○か!」と書かれていた。それをトシが舞台で使ってみたところ、先輩などから高評価だったためである。その中でも「欧米か!」とツッコむネタがヒットしてメディア出演が増えた。もともとはネタ時間の短いM-1グランプリ対策として生み出された。
また中盤から終盤までは捩ったツッコミボケをする(「うっかり…」を受けて「八兵衛か!」など)。この形式でのネタを作る際は、ツッコミのフレーズ(「○○か!」の○○の部分)を先に作ってから、それに合ったボケを付けるという形をとっている。
また、タカが逆にトシの頭を叩いて「○○か!」とトシにツッコむケースもあり、その際はタカがボケた後に自らトシにツッコんだり、トシのツッコミに被せる形でツッコむなどのパターンがある。
概説
東京進出後も地元・北海道を大事にしており、2007年開始の『タカアンドトシのどぉーだ!』以降、北海道ローカル番組のレギュラーを切れ目なく持ち続けているほか、道内各市町村を他の吉本芸人とともに周るライブ「タカトシ寄席」を主宰していた。2人とも北海道に本拠地を置く、プロ野球・北海道日本ハムファイターズ、Jリーグ・北海道コンサドーレ札幌のファンである。
タカは、とんねるずがお笑い芸人を目指すきっかけとなっているが、「とんねるず」がグループ名に「ん」が付いているので、「自分たちも『ん』が付くグループ名にしたい」と思い、「タカア“ン”ドトシ」(最初は「タカ&トシ」)というグループ名にした。またデビュー当初は「カタカナの二人組」で「名前の間に&(アンド)がつく」ことから、先輩芸人であるテツandトモと混同されることが多かった。地方では未だに間違われることをトーク番組などでネタにすることがある。逆に、テツandトモはタカトシに間違えられることをネタにすることがある。また、初期のオンバトでは鈴木崇大、三浦敏和と本名で表記されることがあった。
2人の出会いは、中学2年の時にトシが西岡北中学に転校してきたのがきっかけ。タカがトシを相方に選んだ理由は、「トシが『面白い』と思うところが、自分と一緒だったから」。また、タカが学園祭で漫才をする予定だった友人がネタ合わせをサボるなど不真面目だったため、保健だよりを立ったまま熟読するトシの真面目さに惹かれたからとも語っている。学生時代はタカの実家の和室でタカの両親の前でネタを披露したり、ビデオに撮影して二人だけで視聴したりしていた。
タカのつく嘘もネタになってきている。島田紳助にロシア人っぽいと言われ、お父さんがロシア人と答えたこと、高倉健が友人ということ、昔『めちゃ×2イケてるッ!』のエキストラに出演したこと、子供のころ父親と漁に出て海に落ちて死にかけたこと、いずれも嘘である。その嘘は特徴があり、実際にあったかのようなものであり、トシが指摘するまで、真に受ける共演者もいる。
同級生と言うこともあり、コンビ愛も深く、「クイズプレゼンバラエティー Qさま!!」の解散ドッキリでトシが「休業したい」と言った時も、タカは涙ながらに「俺はお前とじゃないと出来ないから」と言った。トシは同番組の最後で「(タカが自分とじゃないと漫才出来ないと言った事に)感動した」という発言をしている。
先輩として次長課長の河本準一を慕っているが、実際はほぼ同期である(年齢は河本が1つ上)。しかし、同じく同期のスピードワゴンやフットボールアワーにはタメ口で話す。長州小力に至っては、初対面から後輩扱いして以来、実は先輩と判明した後も「今さら変えられない」という理由で後輩扱いのままであり、ガレッジセールは、初対面から先輩扱いして以来、後輩と判明した後も小力とほぼ同じ理由で先輩扱いのままである。又、他事務所芸人の後輩サンドウィッチマンの富澤たけしには、何故か『富澤さん』とさん付けするが、伊達みきおには『伊達ちゃん』とちゃん付けする。但し、年齢はサンドウィッチマンの方が上である(タカアンドトシは76年生まれでサンドウィッチマンは74年生まれ)。
東京進出して間もなかった頃、当時タカが細身・金髪・髭といった近寄りがたい出で立ちだった事もあり、爆笑オンエアバトル収録中の楽屋に馴染めず肩身の狭い思いをしていたが、そんな中でホーム・チームが親しくしてくれた数少ないコンビであった事を度々テレビで公言している。その縁から、与座よしあきの生誕40周年ライブにコンビで携わるなど、現在も交流が続いている。
吉本には珍しく、「バラ売り」をせず常に二人で出演するコンビとして知られている(全力!脱力タイムズ等の基本的にピンで出演する番組でもコンビで出演している)。タカが極度の人見知りのためと言われている。他にもそんなコト考えた事なかったクイズ!トリニクって何の肉!?をタカの母親が見て、「なんでミウラ(※トシの名字)ひとりで出てんの!? うちの息子が誘って、こいつ入ったくせに。なんでひとりで出てんの!? おかしいじゃん、あんたなんで出ないの!? ミウラ一人で出て。」とタカに連絡してきたのもきっかけである。
出囃子はTHE VALVESの『For adolfs only』。
爆笑オンエアバトル
かつてNHK総合テレビで放送されていたネタ番組「爆笑オンエアバトル」に2001年から2006年まで出場し、様々な功績(後述)を残すなど大活躍した。数多くの人気芸人を輩出してきた番組であるが、その中でも代表するコンビとして挙げられ、卒業後も特番で司会を務めたりするなど番組に大きく貢献した。
初出場及び初オンエアは2001年6月23日放送回。2人の地元である札幌収録であり、「地元枠」での出演だった。469KBという高得点だったが、比較的球の入りやすい地方収録だった影響もありアンタッチャブルと同率の4位であった。
その後、満を持して東京収録にも参加しこの頃から勝ち星を重ねていく。しかし、2001年9月8日放送回から2002年4月20日放送回まで4連勝を達成するも、全ての回が300KB台でギリギリの5位通過という珍記録を残している。このように2001~2002年までは連勝はするものの、KB数は思うように伸びず3位~5位で終わってしまう事が多かった。このような状況から2人は当時「オンエアバトル史上最も地味な連勝記録」と言われていたという。この為2001、2002年度はチャンピオン大会の出場条件である年間4勝を達成しているが、いずれもKB数が足らず出場を逃していた。
2003年度から成績が安定していき、この頃から徐々に高得点を叩き出していく。2003年10月17日放送回では初のオーバー500となる529KBを記録(自己最高KB)し、初のトップ通過も果たした(なお、この回から2005年10月15日放送回まで6戦連続トップ通過という番組タイ記録を樹立)。勢いに乗り同年のチャンピオン大会にも出場を果たすが、初出場ということもあってかファイナル11組中10位(578KB)という成績に終わってしまう(タカは「力が入りすぎて、本番空回りしてしまった」と述懐している)。
2004年度は3戦連続オーバー500及び3戦連続トップ通過、更に史上初の年間ランキング1位を獲得するなど、2人にとって正に飛躍の年となった。同年のチャンピオン大会では、セミファイナルで当時の大会最高KBとなる1034KBを叩き出してトップ通過を果たすと、ファイナルでは986KBを獲得して7代目チャンピオンに輝いた。
因みにこの年は、出場した全ての通常回・年間ランキング・セミファイナル・ファイナルの全てにおいて1位を記録しており、これは番組内でタカアンドトシしか成し遂げていない唯一の記録となっている。また、年間ランキング1位の王者もハリガネロック以来2組目の快挙となっている。
更にこの年は出場した全ての通常回においてオーバー500を記録した他、上記の通りセミファイナルでは史上初のオーバー1000も記録しているが、これでファイナルにおいてもオーバー1000を記録していれば、番組内で史上初となる1年を通してオーバー500とオーバー1000のみしか記録した事の無いコンビとなっていた。
2005年度の第8回チャンピオン大会ではシードでファイナルに出場。後にチャンピオンとなるNON STYLE、トータルテンボスなどといった強豪が揃う中、946KBを獲得して8代目チャンピオンとなり、ルート33以来の2連覇を達成した。なお、この年のファイナルで900KB台を記録したのはタカアンドトシのみであった。
2006年11月3日放送回にて、それまでますだおかだが保持していた番組記録の17連勝(全勝)を塗り替える18連勝(全勝)を達成し、当時の番組新記録を樹立した。更に同回では6戦連続オーバー500という番組新記録も達成しており、これは番組終了まで1度も破られる事は無かった。
2006年度の第9回チャンピオン大会に再びシードでファイナルに出場。番組史上初の3連覇を狙うも、ネタ順がトップバッターだったという事も災いしたのか、958KBという高得点ながらも3位敗退に終わり、9代目チャンピオンの座はNON STYLEに明け渡す事となった。敗退が決まった後、タカは相当悔しがっていたようで、最後の全員で行う「あなたたちです!」の時まで終始俯き涙を流しながら落ち込んだ表情を浮かべていた。
上記のように7・8代目チャンピオン(2連覇)、18戦全勝、6戦連続オーバー500、6戦連続トップ通過(番組タイ記録)、オーバー500獲得回数7回(歴代4位)など様々な番組記録を残し、2000年代半ばの同番組を支えたコンビとして番組に大きく貢献した。また、ゴールドバトラーとプラチナバトラーの両方を獲得している数少ないコンビである。
出場者としては第9回チャンピオン大会ファイナルを以って卒業したが、以降も特番である「オンエアバトルDX」に司会として2回出演するなど、卒業後も番組に貢献していた。2014年3月15日に放送された「オンバト最終章 チャンピオン大会直前 15年間ありがとうスペシャル」では、数多くの芸人を代表して司会に抜擢された。更に同年3月22日放送の「オンバト+ 第4回チャンピオン大会」でも司会を務めた。
2014年3月6日に行われた「オンバト最終章」の記者取材会にて、タカは「無名のときに札幌大会で初めて出させていただき、ギリギリ5位で通過してオンエアされた。オンバトがなかったら東京に出るきっかけもなかった」と語り、トシも「我々はオンバトなくして今ここにいない、というくらいお世話になった番組。最後にMCを手伝わせていただくのは感慨深くてありがたい」と語るなど、各々番組に対して感謝の弁を述べていた。
2019年3月23日深夜に放送された特番「爆笑オンエアバトル20年SPECIAL ~平成最後の年に一夜限りの大復活!~」においても番組OBを代表して司会を担当した。なお、同回においては一部を除いてタカトシ以外の吉本所属の芸人(番組OB)が殆ど出演しない形となった。
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