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TOKYO MXで再放送されているアニメ「ツルネ -風舞高校弓道部-」1話最新話の見逃し配信、無料フル動画を無料視聴する情報や再放送、あらすじ、ネタバレ、漫画を無料で読む方法などを紹介していきたいと思います!
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この記事の目次
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アニメ「ツルネ -風舞高校弓道部-」1話のあらすじ・ネタバレ
\本日深夜 放送開始🍃/
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「少年は矢庭に」
湊には、心捕らわれた音――「弦音」がある。
幼い頃に母と一緒に弓道を見て、たちまち魅了された湊は、
中学校で弓道部に入るが最後の試合で敗北。
その要因ともなった、ある「病」を抱えた湊は、弓道から距離を置くようになってしまった。
地元の風舞高校に進学しても、もう弓道はしないと言い張る湊だったが……。
【鳴宮 湊】上村祐翔
【竹早静弥】市川 蒼
【山之内遼平】鈴木崚汰
【如月七緒】矢野奨吾
【小野木海斗】石川界人
【滝川雅貴】浅沼晋太郎
【藤原 愁】小野賢章
アニメ「ツルネ -風舞高校弓道部-」のあらすじ・ネタバレ
地元の公立高校・風舞高校へ入学した鳴宮湊。
入学早々、顧問のトミー先生から弓道部に勧誘され、
幼馴染の竹早静弥、山之内遼平は入部を快諾する。
とある思いから入部を断っていた湊だったが、
遼平に押し切られる形で弓道部の説明会へと足を運ぶと、
そこには如月七緒、小野木海斗らの姿もあった。
貴重な弓道経験者ということで、
トミー先生の指名によって湊は急きょ、
参加者の前で射を披露することになるが、矢は的には当たらない。
湊は弓引きにとって重大な病を抱えていた……。
湊、静弥、遼平、七緒、海斗。
弓道によって5人が出会い、
そして、美しくもビターな<青春>の中をもがき続けた先、
少年たちが手に入れたものとは――。
アニメ「ツルネ -風舞高校弓道部-」全話のあらすじ・ネタバレ
第一話 少年は矢庭に
湊には、心をとらわれた音「弦音」がある。中学校で弓道部に入った湊は、最後の試合で敗北。その要因ともなったある病を抱えた彼は、弓道から離れてしまう。風舞高校に進学しても、もう弓道はしないと言い張るが…。
第二話 矢も楯も堪らず
湊が患っていたのは、「早気」という弓引きにとって恐ろしい病だった。説明会で射を失敗し、逃げるように学校を飛び出した湊は、偶然たどり着いた夜多の森弓道場で、美しい弦音を響かせる謎の男・マサさんと出会う。
第三話 出会いの矢先
風舞高校弓道部へ入部した湊。静弥と遼平、そして七緒は彼を快く受け入れるが、海斗はころころと考えを変える湊を信用できないと突っぱねる。何とか海斗との距離を縮めようとする湊だったが…。
第四話 合わない筈
少しだが湊のことを信用するようになった海斗。マサさんをコーチとして迎え、風舞高校弓道部は県大会予選を突破するため合宿を行うことに。その直前、部内で模擬試合が行われるが、負けた方にはある罰が待っていた。
第五話 矢の使いで
部内試合に負け、栄えある「下僕」となった湊たち男子5人。朝早くから境内の掃除に勤しみ、食事の用意もする。練習ができないことに不満を覚える5人だったが、トミー先生とマサさんには狙いがあるようで…。
第六話 弓引く理由(わけ)
弓道の強豪校・私立桐先高校には、貴公子と呼ばれる射手・藤原愁がいる。高校1年生とは思えない風格のある射は、上級生たちをも圧倒。それは、県大会予選出場メンバー選抜の校内試合でも変わりなく…。
第七話 再、会
いよいよ県大会予選が開幕。この予選で上位に入らなければ、県大会へは進めない。風舞高校弓道部にとっては初の公式試合。会場へやってきた湊たちは、桐先高校の愁たちと遭遇し、早くも一触即発の雰囲気に…!?
第八話 矢を向けて
初めて挑む公式試合の団体戦。前日の個人戦で調子を崩した海斗だったが、やる気は十分。湊も愁の射を久しぶりに見て、奮い立っていた。緊張している遼平に、いつも通り気楽そうな七緒と冷静な静弥だったが…。
第九話 明かせぬ手の内
何とか予選を突破し、県大会出場を決めた風舞高校弓道部。チーム全員が一丸となって猛練習中…と言いたいところだが、熱が入りすぎてあわや空回り。そんななか、静弥はどこか心ここにあらずといった様子で…。
第十話 離れぬ心
雨に打たれたせいか、熱を出して学校を休んでしまった静弥。湊たちは4人で練習するが、部長不在のせいか些細なことでギクシャクし始める。心配した妹尾たちがマサさんに相談すると、彼は「奥の手がある」と話し…。
第十一話 空筈(からはず)の痛み
憑き物が取れたように、以前よりも明るい表情を見せる静弥。ほかのメンバーもそれを感じているようで、後は県大会に向けて練習あるのみといったところ。しかし、今度はマサさんが浮かない表情を見せ始め…。
第十二話 五本の矢
マサさんが事故に遭ったという蓮からの知らせに動揺する風舞高校弓道部。マサさんのことが気がかりで、これから始まる試合に集中できない男子たちを女子が一喝する。湊たちは何とか頭を切り替えようと努めるが…。
第十三話最終回 かけがえのない
全ての出会いはあの弦音から始まった。再生した風舞高校弓道部で、立ちはだかる試練をもがきながらも乗り越え、仲間との絆を深めてきた湊たち5人。春が過ぎ、緑が深まる初夏、彼らは県大会決勝にたどり着く。
「ツルネ -風舞高校弓道部-」について
「ツルネ -風舞高校弓道部-」は、綾野ことこによる日本の小説。イラストは森本ちなつが手掛けている。 KAエスマ文庫より2016年12月から刊行された。『夜多の森弓道場』のタイトルで、第7回京都アニメーション大賞小説部門審査員特別賞を受賞した。
ストーリー
鳴宮湊は、「あること」が原因で中学最後の弓道部の試合で負けてから弓道を辞め、風舞高校に進学する。だが、「夜多の森(やたのもり)弓道場」で凄腕の射手滝川雅貴と知り合ったのをきっかけに再び弓道に向き合うことを決め、風舞高校弓道部に入部する。湊は「あること」を克服する方法を探し、仲間たちと県大会優勝を目指す。
「ツルネ -風舞高校弓道部-」の主な登場人物
鳴宮 湊(なるみや みなと)
声:上村祐翔
風舞高校1年生。母と見た弓道に魅せられ、小学生のころ弓道をはじめた。中学生最後の試合に早気にかかってしまい、それが原因で試合は敗退。そのため、高校に入ってからは弓道から離れようとしていた。しかし、雅貴と出会ったことがきっかけでやり直そうと決心し、弓道部に入部する。小学6年生のときに母親を交通事故で亡くし、現在は父親と二人暮らし。静弥とは幼馴染で親友。
竹早 静弥(たけはや せいや)
声:市川蒼
風舞高校1年生。弓道部部長。面倒見が良く大人びた性格だが、湊が絡むと冷静さを欠くこともある。湊とその母親の交通事故を目撃しており、その事もあってか、湊の怪我に対して敏感。湊を追いかけて私立の高校から県立高校に移籍するなど、過保護な面をみせている。普段は眼鏡をかけているが、弓を引くときはコンタクトにしている。
山之内 遼平(やまのうち りょうへい)
声:鈴木崚汰
風舞高校1年生。大柄で人懐っこい明るい性格。湊と静弥とは、小学校時代を共に過ごしていた。小学5年生で転校したが、高校で湊たちと再会する。中学の選択科目で弓道を経験しているが、部員の中では弓道の経験が最も浅い。
如月 七緒(きさらぎ ななお)
声:矢野奨吾
風舞高校1年生。海斗のいとこ。校内にファンクラブが存在するほど女子に人気がある。「メッハー」という独特の挨拶をする。派手な見た目で軽い男に見えるが、実は物事を冷静に判断することができる。
小野木 海斗(おのぎ かいと)
声:石川界人
風舞高校1年生。弓道に真剣に取り組んでいるため、一度弓道から逃げた湊に何かとつっかかる。性格や物言いがかなりきつく、協調性があるとはいいがたい。動物に懐かれやすい。
森岡 富男(もりおか とみお)
声:鈴木勝美
現弓道部員達が入学したのと同じ年度に風舞高校に赴任して来た年配の教諭で、弓道部顧問。愛称は「トミー先生」。長らく休止中だった弓道部を再興した。風貌や性格が好好爺然としており、腰痛のため弓を引く機会は少ないが、「鬼の射手」と称されている。弓道六段。
白菊 乃愛(しらぎく のあ)
声:七瀬彩夏
妹尾 梨可(せお りか)
声:大地葉
花沢 ゆうな(はなざわ ゆうな)
声:島袋美由利
藤原 愁(ふじわら しゅう)
声:小野賢章
桐先高校1年生。祖父がイギリス人。貴族の血を引く家系で華やかで風格のある射をし、周囲から「貴公子」と呼ばれている。湊と静弥とは中学時代のチームメイト。
本村 宏樹(もとむら ひろき)
声:寺島拓篤
桐先高校3年生。弓道部主将。遼平と図書館で会った際に早気について聞かれ、中崎を紹介した。
佐瀬 大悟(させ だいご)
声:宮崎遊
桐先高校3年生。
菅原 千一(すがわら せんいち)
声:小林裕介
菅原 万次(すがわら まんじ)
声:天﨑滉平
椛島(かばしま)
声:金子誠
湯島(ゆしま)
声:猪股慧士
滝川 雅貴(たきがわ まさき)
声:浅沼晋太郎
夜多神社の神職で、湊が夜多の森弓道場で出会った男性。その後、森岡顧問に請われて風舞高校弓道部コーチに就任。「マサさん」と呼ばれる。弓道の腕は超一級で見目麗しいが、何かとオヤジ臭い。「フウ」というフクロウを飼っている。
滝川 蓮(たきがわ れん)
声:保村真
雅貴の義理の兄で、絵本作家。カメラマンはその取材用の姿である。雅貴からは「蓮」と呼ばれている。
西園寺先生(さいおんじせんせい)
声:久保田民絵
湊と愁の師匠。雅貴の祖父と知り合いで弓道の権威者だったが、最近は公の場にも滅多に出ていない。
中崎(なかざき)
声:石井康嗣
中崎弓具店の店主。
「ツルネ -風舞高校弓道部-」の用語
弦音(つるね)
矢を放った際、弦が弓を打つと鳴る音。同じ人物が同じ矢を使用しても鳴らないことがあり、天気や射手の状態の影響を受けやすい。
体配(たいはい)
射場への入場から、弓矢を構え、矢を放つまでの基本になる一連の所作や姿勢
手の内
弓を構える際に持つ部分(握り部)の握り方
立(たち)
試合における対戦回数の単位(バスケットなどに於ける「第1クオーター」などの感覚に近い)。「一立(ひとたち)ニ立(ふたたち)...」と数え、最大でも五立の場合が多い。試合の勝敗は立ごとの勝敗数、または全ての立の合計的中数によって決まる、どちらの場合かは試合形式により異なる。一立で引く矢数は四矢であるが、的中数が引き分けている場合一手競射によって勝敗を決する。
皆中(かいちゅう)
放たれた全ての矢が的に命中すること。主に一立で四矢(よつや)全て中てた場合このように言う。
試合の際などはチームメイトや対戦相手、観客などが拍手を送る事もある。
一手(ひとて)
一度に引く矢数が2本であること。甲矢(はや)・乙矢(おとや)で一組であり、必ずこの組み合わせで持って射位に入る。四矢の場合は甲矢と乙矢を二組持って射位に入る。試合に於いて一手競射になった場合、二本とも的に的中することを「一手皆中」という。
本座・射位
弓を引く際の立ち位置。まず本座に立ち、的に向かって「揖(ゆう)=一礼」をした後、三または五歩で射位へ進み立つ。この時的に向かって体を横向きに、射位が体の中心にくるように立つ。これが射法八節の「足踏み」となる。
弓返り(ゆがえり)
離れで弦から手を放した際、弓が手の内を軸に回転し弦が手の甲側へ回転すること。
手の内が正しく、最後まで崩れず、正しい体配で弓を引けていると綺麗に弓返りし、未熟であるほど上手く弓返りしないとされる。
早気(はやけ)
自分の意思に反して、「会」(「射法八節」内解説を参照)をする前に矢を放つこと。射手として深刻な病でイップスに似ているという。
また、会まできて間もなく弦を放してしまい、十分に伸び合う(会の状態を保つ)事が出来ていない場合も早気とされる。
「弓道」について
「弓道」は、和弓で矢を射て、的に中(あ)てる一連の所作を通し、心身の鍛練をする日本の武道である。古武道の弓術を基とし、現在ではスポーツ、体育(学校教育)の面も持ち合わせている。
競技人口
平成27年度の全日本弓道連盟への登録人口は、約14万1,000人である。男女比はやや男性が多く、年齢層では高校生が約7万1,000人(全体の50%)、一般が約4万3,000人(31%)、中学生が約1万3,000人(9%)、大学生が約1万4,000人(10%)である。ただ、この人数は、全弓連関連の審査や試合に参加するのでなければ連盟への登録は必須ではない点に留意すべきである。
各地の弓道連盟(地連)の登録人口をもとに都道府県別の競技人口を見ると、上位5位は愛知県、東京都(3地区連盟の合計)、神奈川県、福岡県、埼玉県、下位5県は下位から和歌山県、沖縄県、秋田県、鳥取県、島根県である。中学生登録人口は地域により大きなばらつきがあり、栃木県、愛知、鹿児島県各地連の登録者が2,000人前後であるのに対し、登録者数人から数十人の地連も多い。
高校生では、近年の少子化傾向のなかにあっても競技者数は6万人台を維持しており、男子・女子ともに剣道競技者を上回り、武道では最も競技者が多い。ただ実施校数は約2,000校であり多くはない。普及の地域差は大きく、愛知県では半数の高校に弓道部があるが、大阪府では10%前後である。
流派
現在でも小笠原流、日置流、本多流、大和流など様々な流派が存在し活動しているものの、大多数の弓道家は流派には所属せず、全日本弓道連盟の定めた射法(#射法八節)を学んでいる。流派の人々も全日本弓道連盟に所属し審査を受けている場合もあり、多くの流派組織は連盟と対立してはいない。
流派の系統は今日的な用語で「礼射系」・「武射系」と分類されている。礼射系は儀礼・儀式的な要素が加味されつつ発展した射の系統をいうが、事実上小笠原流系統をさす。武射系は戦場での実利を重視して発展してきた射の系統をいい、事実上日置流系統をさす。本多流は、三十三間堂の通し矢を得意とした日置流の堂射系統が母体で、本来は礼射系で行っていた正面打起しを取り入れた、武射系の流派である。
海外普及
弓道は『弓と禅』(オイゲン・ヘリゲル著、1948年)などの著作で精神と礼節を重んじる面が取り上げられたことなどから外国人の関心を惹き、オリンピック種目でないにもかかわらず欧米各国中心に競技団体が設立され愛好されている。ただ、最も盛んなドイツでもドイツ弓道連盟登録者数は約1100人、他国連盟は多くても数百人である。2006年5月2日、弓道の普及と振興などを図るため国際弓道連盟が創設された。
「弓道」の歴史
明治・大正
武芸の一つ(武芸十八般の一つでもある)である弓術は、幕末から明治になり、それまでの江戸時代の制度が崩壊し、軍隊に西洋の最新兵器が導入されるという時代の流れに伴い、大きく変遷を強いられた。幕末の1862年(文久2年)、幕府において講武所の稽古科目から弓術が除外され、弓術の上覧も廃止された。続く1867年(慶応3年)の大政奉還により伝統的な弓術文化は幕藩体制・武家社会の崩壊と共に大きな衰退を余儀なくされた。1871年(明治4年)には廃藩置県により各地方や藩で教育されていた武術教育も姿を消し、弓術に限らず武術全般で実用性が見いだされなくなり、武術衰退に拍車をかけた。明治維新以前は、弓をひくことに制限が存在したが、維新による緩和を受けて、維新後は一般人でも弓を引く者が増えるようになり、急速に一般に普及し、遊戯化・娯楽化も進んだ。
他方で既に遊興の道具としての弓矢は民衆の間でも存在しており、盛り場での賭弓場が維新後の都市部で大流行した。賭弓場の多くは風俗営業であり、明治政府から規制を加えられるほど盛況化するなど、明治初期には一般的に弓といえば賭弓場を連想するほどに弓射文化は衰退していった。このような世相に煽られ公的な弓術道場が姿を消していく中、私設弓術道場を開くなど弓術古来の伝統を正しく引き継ごうとする真摯な弓術家の活動により、日本弓道の命脈・伝統文化は保たれていった。
明治中期に入ると初等教育の開始や徴兵制度の徹底、日清戦争などでの勝利などを背景に、武術を再認識する機運が高まり始めた。後に団体や国策により武術が利用されはじめ、国民は弓道を含めた各種武道の再認識・尊重をするようになった。このような社会風潮を受け、1895年(明治28年)、京都在住の有識者により各種武術を統括する団体として大日本武徳会が設立され、京都の平安神宮境内に建設された武徳殿を本部とした。弓術をはじめとする各武術は、技術を目的とした武術は、心の涵養を目的とした武道として改められ、1919年(大正8年)、武術専門学校を武道専門学校と改称、時を同じくして弓術も「弓道」と改称された。反面、遊興的に『中りさえすれば良い』とした衰退期の反動から、『射型さえ良ければ中らなくても良い』とする過度な精神や礼節を重んじる気風が広まった側面もあった。これにより庶民への更なる普及もなされ、弓道への関心がより強まっていった。
また、大正から昭和初期にかけて、本多利実とその弟子達によって行われていた正面打起しの射法が大流行した。後に利実の弟子達はこの射法をもって本多流を称した。
昭和初期・終戦
大日本武徳会は事業のひとつとして各武道の形の統一を目指し、剣道では「大日本帝国剣道形」、柔道は「大日本武徳会柔術形」などが制定され、弓道もまた射型統一を行うことになった。1933年(昭和8年)5月に開催された全国範士・教士会からの要請を受け、同年9月、当時の大日本武徳会会長鈴木莊六によって全国から招集された著名弓道家により「弓道形調査委員会」を構成。大日本武徳会弓道部長 跡部定次郎が委員長となり、同年11月10日から京都武徳殿で「統一射法」に向けて3日間にわたる議論が交わされることとなる。
初日は小笠原流を基本にした巻藁射礼、的前射礼、立射礼の3つの射礼が決定される。2日目は射法について審議されるが、「打起し(後述射法八節)」の審議に入るとそれぞれ自己の流派射法から「正面打起し」と「斜面打起し」を主張し合い、互いに譲らず喧々囂々白熱した議論へと発展、その日は議論の決着を見ずに終了した。最終日、議論はほとんど決裂の様相を呈していたが、九州の祝部至善範士から出された妥協案「正面打起し・斜面打起しの中間的方法」を採用することで一同は賛成を表明、これで一応の決定を得た。
1934年(昭和9年)11月、これをもって「弓道要則」とし、統一射法として正式に制定。大日本武徳会は全国に普及、徹底させようとするも、この「中間的妥協案」には弓道界から賛否が続出し、雑誌・新聞紙上で大論争が展開された。
1937年(昭和12年)日中戦争が勃発し、翌1938年(昭和13年)「国家総動員法」が公布された。武道は政府・武道団体幹部によって「国力増強・国威発揚」を狙って次第に政府管理下に組み込まれ始め、そして利用されていった。1940年(昭和15年)、紀元二千六百年奉祝天覧武道大会が開催され、弓道も参加する。1941年(昭和16年)太平洋戦争が開戦し、同年政府機関による議論の末、厚生・文部・陸軍・海軍・内務の5省共管による政府の外郭団体とした新たな武道統括団体の新設、既存の武徳会はこれに包含される形でこの武道団体に改組・帰一されることとなる。翌1942年(昭和17年)、既存の武徳会は改組され会長に東條英機内閣総理大臣、副会長に厚生・文部・陸軍・海軍・内務の各大臣と学識経験者1名をそれぞれ招き、理事長に民間人、各支部長には知事をあて、本部は京都の武徳殿から東京の厚生省内に移転、こうして政府5省が共管する政府の外郭団体として新たな大日本武徳会が発足する。武徳会弓道部会長には宇野要三郎範士が就任し、常務理事も兼務した。
武徳会成立の詳細な経緯は大日本武徳会#歴史参照
政府の外郭団体として再出発したことにより、武道は飛躍的に普及した。伝統芸能・文化財的扱いであった弓道も、満州国建国10周年を記念した「日満交歓武道大会」に選手団を新京へ派遣(1942年7月)するなど積極的に活動を行った。1943年(昭和18年)3月、大日本武徳会は称号を範士・達士・錬士とし、段位を等位制に改め、初段を五等、二段を四等…のようにし、五段を一等として、六段以上の段位を廃止。1944年(昭和19年)3月、弓道部会長宇野要三郎範士が委員長となり「弓道教範制定委員会」を設け、「弓道教範」を作成。懸案事項であった打起しの形式は「弓道要則」を認めつつ従来の正面・斜面もそれぞれ認め、正面・斜面・中間(統一打起し)の3様式を採用した。巡回指導や移動審査の実施など活発に行動する反面、太平洋戦争の戦局が切迫するにつれ、政府は国民生活の全てを戦争遂行に結集すべく国民への武道の修練を強く奨励した。しかし、戦争末期には日本各地で連合国軍の空襲や艦砲射撃が苛烈を極め、多くの弓道場が焼失、また、焼け残った弓道場も弓道以外の目的(倉庫・宿舎など)で使用されるなどして、弓道や武道を行う環境は極度に悪化した。その上、生活の困窮から弓道に割く時間的・心理的余裕も無くなり、国民から弓道は遠ざかっていった。
終戦後、戦前-戦中の国策ともいうべき武道励行に対する反動から、国民の武道に対する感情は非常に厳しいものとなった。
戦後
大日本武徳会は終戦に伴い、ただちに従来の性格を改めて民間団体に改組するべく、1946年(昭和21年)1月には運営の民営化をはかり、武道の諸団体と協力して維持発展に努力を期し、役員も全国から選ばれた評議員の会で純民間人を推薦してこれをあて、取扱う種目も剣道・柔道・弓道などに限定した。文部大臣の認可も得たが、次第に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)からの査察が厳しくなり、財閥と同様に政府支援団体として解体される可能性が高まった。 また、GHQが本格的に解体の動きに入ると
強力な中央集権的団体であった。
中央・地方を通じ軍や特高などと関係する警察を網羅し国家組織と結びついていた。
莫大な資産を有していた。
などの理由で解散を命じる空気がさらに漂い始める。大日本武徳会と文部省は協議を重ねたが、「解散は止む無し」との結論にいたり、ついに解散を決定した。1946年(昭和21年)9月28日付でGHQあてに報告書を提出、10月31日に自主解散を宣言し、52年にわたる歴史を閉じた。しかし、GHQは自発的解散を認めず、11月9日、大日本武徳会に対し公命で解散を命じ、関係者約五千名が追放された。
大日本武徳会の解散に伴い、愛好者によって各地で地方連盟の組織化が進み全国的に波及した。これら諸団体の総意を結集し、1947年(昭和22年)に「全日本弓道連盟」が結成された。しかし、諸般の事情が絡み1948年(昭和23年)12月解散。1949年(昭和24年)4月3日、新たに「日本弓道連盟」を結成、8月2日日本体育協会に正式加盟が承認される。1953年(昭和28年)9月15日、文部省より財団法人の設立許可。世情が落ち着いた1954年(昭和29年)、1952年に起きた大日本武徳会再建活動が再度活発となり、弓道連盟内でも問題となった。しかし、文部省は慎重な審議の結果、民主的に組織されて健全に活動している全国的な団体が既に設立され、日本体育協にも加盟していることなどの理由から、1955年(昭和30年)8月、武徳会設立認可申請を却下し、弓道連盟内で武徳会再建活動を行っていた射手達は連盟を去っていった。1957年(昭和32年)1月18日、「全日本弓道連盟」へと名称を改めた。
戦後の射法混乱を改善し、弓道の大綱を明らかにすべく、1953年(昭和28年)8月『弓道教本 第一巻』が発刊される。様々な流派の長所を生かして現代弓道の指標とし、特定の流派に所属しないでも弓道の大綱を学ぶことができるようになった。「弓道教本」では射法八節を定め、大日本武徳会で制定された「弓道要則」の統一打起し(中間打起し)を正式に廃し、正面・斜面の打起し方法を採用した。射礼・体配は小笠原流の所作を中心に採り入れ、流派ごとにまちまちであった射礼・体配を連盟方式に統一し、試合や審査上の混乱を是正した。
学校弓道の戦後
戦前においては、1924年(大正13年)に都下学生弓道連盟(現東京都学生弓道連盟)設立、1930年(昭和5年)に日本学生弓道連盟(現全日本学生弓道連盟)が設立され、特に大学においては盛んに全国規模の大会が開かれるなどされていた。しかし、1945年(昭和20年)11月・12月、文部省発体80号・100号により、学校における武道(剣道・柔道・薙刀・弓道)の授業は全面的に禁止され、課外の部活動も禁止された。文部省は学校教育における戦時色の払拭に努め、武道の免許状も無効扱いとされ、「武道」という言葉自体に軍事的な意味合いを含むとして使用は控えられた。その後、1951年(昭和26年)7月25日、文部事務次官通知により中学校以上の体育教材として弓道の実施が認可され、再び学校教育に採り入れることが許可され、課外の部活動も解禁された。1953年(昭和28年)7月11日、全日本学生弓道連盟が再結成。1956年、全国高等学校体育連盟に弓道専門部が新設。1967年(昭和42年)3月29日、文部省発体120号の通達により、弓道が高校正課体育種目として体育の授業で指導することが可能となる。1989年(平成元年)、高等学校学習指導要領改訂に伴い、「格技」は「武道」に改められ、これまで「格技」ではなく「個人種目」に含まれていた弓道は、「武道」の領域に含まれることになった。
現在
現在では全日本弓道連盟が中心になり、各流派の特徴を取り入れるなど現代社会のスポーツ性を考慮した射法が主流となって、全国的に射法が平均化され地域差が少なくなっている現状がある。ただし、全日本弓道連盟の「統一見解による射法」は非常に曖昧なもので、指導者によって技術論に差異が認められるなど、全日本剣道連盟による「日本剣道形」のようないわゆる「統一の形」は存在せず、全日本弓道連盟が公式に定めているのは「射法八節(後述)」「礼法」「間合い」のみとなっている。同じ射距離で同じ弓・矢・カケを用いているにもかかわらず、全く正反対の技術であっても通用している。
このような技術論に差異が認められる所以は、日本の弓術独特の進化過程に起因する。目的に合わせて、馬上の射「騎射」、徒歩(かち)の射「歩射」、通し矢の射「堂射」と、流派の中でそれぞれで独自に進化、発展した経緯が背景にあり、「射法八節」の中で流派技術であったり、日本弓術の伝統的技術体系である歩射・騎射・堂射の技術が入り乱れるなど、射手や指導者によって技術の取捨選択が成され、現在では多くの射手はそれぞれの技術が入り交じった「射法」を行っているのが現状である。目標がそれぞれ異なる歩射・騎射・堂射を明確に把握して弓を引いている射手は非常に少数となった。従って高段位である指導者層の変遷に伴い、時代による射技・射型の流行・廃れが現代弓道のひとつの特徴として見られる。一方で、古から続く弓道、弓術流派は自身の発展の土台(「騎射」「歩射」「堂射」の内のどれか)を重要視、または流祖の教え、古流の保存など、それぞれの目的に合わせ一貫した技術・教えにより古来からの伝統を受け継いでいる。全日本弓道連盟に属して活動している流派・団体も多いが、連盟とは一切関与せずに活動を行っている流派・団体も存在する。
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