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奇跡のバックホームの見逃し配信と動画無料視聴方法!間宮祥太朗主演ドキュメンタリー

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奇跡のバックホームの見逃し配信と動画無料視聴方法!間宮祥太朗主演ドキュメンタリー

テレビ朝日で放送されている間宮祥太朗主演のドキュメンタリードラマ「奇跡のバックホーム」の見逃し配信、無料フル動画を無料視聴する情報や、あらすじ、ネタバレ、過去放送回、再放送のことなどについてなどを紹介したいと思います!

ハムレット
このドキュメンタリードラマ「奇跡のバックホーム」は、プロ野球界に語り継がれる“奇跡のラストプレー”と、病魔におかされた野球選手を支え続けた人々の愛の物語をドラマ×ドキュメントで紡ぎだしていく物語で、話題です!

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ドラマ「奇跡のバックホーム」のあらすじ・ネタバレ

2014年の阪神タイガース入団会見。

その壇上にドラフト2位指名を受けた横田慎太郎(間宮祥太朗)はいた。背番号はタイガースを代表する打者・桧山進次郎がつけていた背番号24。将来を嘱望されたルーキーとして晴れ晴れしいスタートをきる。

高校野球の名門高・鹿児島実業出身、甲子園出場の夢は叶わなかったが、慎太郎の野球センスとスケールの大きいスイングに注目をしていたのが阪神タイガースのスカウト・田中秀太(丸山智己)。その期待に応えるように、慎太郎はプロ3年目で開幕スタメンを勝ち取る。

しかし翌年、原因不明の頭痛とボールがぼやけて見えるという症状が慎太郎を襲う。精密検査の結果は脳腫瘍。あまりに予想外の診断結果と、医師からの「野球のことは、いったん忘れてください」という言葉に、目の前が真っ白になる慎太郎。活躍が期待されたプロ野球シーズン直前のことだった。

18時間に及ぶ大手術を終えた慎太郎を待っていたのは、目が見えない状態からの過酷な闘病生活。辛い治療に耐える慎太郎を、母・まなみ(石田ひかり)は病室に寝泊まりしながら看病し、励まし続ける。何度も絶望しそうになる慎太郎を支え続けたのは家族の存在、そして慎太郎の元に届く数多くのファンレターがあった。

退院後、育成選手契約となった慎太郎は一軍復帰を目指す。しかし、体力は回復するものの、視力だけは戻らない。

「野球、やめることにしました」

突然襲われた病魔と闘い、不屈の精神で一軍復帰を目指し続けた慎太郎。彼の野球人生最後の試合は、1096日ぶりの公式戦、その8回二死2塁の場面、万感の思いを胸に全速力でセンターの守備位置へとつく慎太郎。その直後、慎太郎本人でさえ予想することのできなかった“奇跡”が起きる。

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ドラマ「奇跡のバックホーム」について

プロ野球界に語り継がれる“奇跡のラストプレー”の裏側には、病魔におかされた野球選手を支え続けた人々の愛の物語があった――。

プロ野球選手として将来を嘱望されながら病魔に襲われ、24歳という若さで引退をした元・プロ野球選手・横田慎太郎さんが著した自伝的エッセイ『奇跡のバックホーム』をドラマ化!

ドラフト2位指名で阪神タイガースに入団した横田さん。抜群の身体能力で将来を期待されながらも、2017年にボールが二重に見えるという症状から脳腫瘍が発覚。18時間に及ぶ手術の後には苦しく辛い闘病生活が待っていた。しかし、不屈の精神でリハビリの末に現役復帰。だが、体力は回復したものの野球選手にとって生命線でもある視力が回復することはなかった。白球が二重に見え、バッティングも補給もままならない中、2019年に引退を決意する。

2019年9月26日、鳴尾浜球場で行われた2軍戦が横田さんの引退試合となった。1096日ぶりの試合出場、そして、プロ野球人生最後のラストプレーで見せたバックホームは美しい弧を描き…。

今なおプロ野球界で語り継がれる“奇跡のバックホーム”はプロ野球ファンのみならず多くの人々に感動を与え続けている。ドキュメンタリードラマ『奇跡のバックホーム』は、この感動のラストプレーへと繋がる横田さんの半生を描いた真実の物語だ。

横田氏と縁のある金本知憲氏、鳥谷敬氏、阪神タイガース・矢野燿大監督のインタビュー出演も決定!

横田さんが1軍昇格した当時の阪神タイガース監督だった金本氏は、横田氏へ込めた期待感や、横田氏の病状が発覚した際の心境を明かす。
横田さんがファームでリハビリをしていた頃の2軍監督だった矢野監督は横田氏が復帰を懸け、猛練習していた頃のエピソードなどを。
さらに、鳥谷氏は2軍だった横田氏の引退試合に、1軍選手が総出で駆けつけた“異例の引退試合”の舞台裏についても語る。

「横田慎太郎」について

「横田慎太郎」は、鹿児島県日置市出身の元プロ野球選手(外野手)、YouTuber。左投左打で、実父の横田真之も元プロ野球選手(外野手)である。

プロ入り前
東京都生まれで、3歳の時に鹿児島県東市来町(現在の日置市)へ移住。湯田小学校3年生の時に東市来町湯田ソフトボール少年団でソフトボールを始めると、東市来中学校では軟式野球部に所属した。

鹿児島実業高等学校への進学後は、1年生の秋から4番打者を任された。3年時には投手を兼務。140km/h超の速球を武器に、エースとしても活躍した。高校通算で29本塁打を記録したが、チームは2年生の時から、夏の鹿児島県大会で2年続けて決勝で敗れている。

2013年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから2巡目で指名。契約金6,000万円、年俸720万円(金額は推定)という条件で入団した。外野手としての指名で、担当スカウトは田中秀太。自身と同じ左打ちの外野手だった桧山進次郎がこの年限りで引退したことを受けて、桧山が22年間付けていた背番号24を、入団後に引き継いだ。

プロ入り後2014年
若手主体の春季安芸キャンプ初日(2月1日)に発熱で静養を余儀なくされたものの、安芸市営球場で臨んだプロ入り後初の屋外打撃練習(同月10日)では、飛距離の長い打球を連発したことで関係者や報道陣を驚かせた。シーズンでは二軍生活に終始したが、7月17日のフレッシュオールスターゲーム(長崎ビッグNスタジアム)には、ウエスタン・リーグ選抜チームの「7番・左翼手」としてスタメンに起用。79試合に出場した同リーグの公式戦では、打率.225ながら、伊藤隼太・同期入団の陽川尚将と並ぶチーム2位の6本塁打を記録した。プロ初本塁打は、8月3日の対オリックス・バファローズ戦(鳴尾浜球場)2回裏に近藤一樹から打った満塁本塁打。同月31日の対中日ドラゴンズ戦(姫路)では、1試合3本塁打を記録した。ウエスタン・リーグ公式戦でこの記録を達成した阪神の選手は、1997年のフィル・ハイアット以来である。

2015年
2年続けて安芸で迎えた春季キャンプでの打撃内容が評価されて、オリックスとの練習試合(2月28日)からオープン戦の中盤まで一軍でプレー。オープン戦では安打や打点を記録したが、キャンプ中から打撃フォームを崩していた影響で、開幕一軍には至らなかった。ウエスタン・リーグの公式戦でも、開幕からシーズン中盤まで、打率が1割前後にとどまっていた。シーズン通算では、奥浪鏡(オリックス)と並んで、同リーグ2位の103試合に出場。チームトップの8盗塁、中谷将大と並ぶチーム2位の9本塁打、チーム3位の36打点を記録した。最終打率は.213と前年より低く、一軍公式戦への出場機会もなかったが、シーズンの終了後にアジア・ウィンター・リーグ(AWB)のNPB選抜チームへ派遣。リーグ戦19試合の出場で、打率.302、2本塁打という好成績を残した。

2016年
入団以来初めて、一軍の春季沖縄キャンプに参加。新任の一軍監督・金本知憲の方針でルーキーの髙山俊と並んで連日スタメンに起用されたオープン戦では、9試合連続で安打を打った。さらに、規定打席を上回った選手で最も多い22安打と、セントラル・リーグの選手で最も高い打率.393を記録した。3月25日には、中日ドラゴンズとの開幕戦(京セラドーム大阪)に、「2番・中堅手」としてスタメンで一軍デビュー。実父・真之もロッテの選手時代に一軍の開幕戦で6回スタメンに起用されていたことから、「親子選手による一軍開幕戦スタメン出場」というNPB史上5組目の記録も達成した。この試合で一軍初の盗塁を決めると、翌26日の同カード5回裏の第3打席で一軍初の安打(内野安打)を打った。4月6日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(東京ドーム)3回表には、三塁走者として、一塁走者のマット・ヘイグとの重盗に成功。阪神の一軍公式戦では2012年(平野恵一)以来の本盗も達成している。以降の試合でもスタメンに起用されていたが、出塁を意識するあまり打撃のフォームや調子を崩したことから、5月6日の出場選手登録抹消を機に一軍と二軍を2度往復。一軍公式戦では、38試合の出場で4盗塁を記録したものの、打率は.190で、本塁打0に終わるなど持ち前の長打力を発揮できなかった。その一方で、ウエスタン・リーグ公式戦では、79試合の出場で打率.261、5本塁打、35打点、15盗塁を記録。「長距離打者として育てたい」という二軍監督の掛布雅之の方針から、最初の登録抹消後は4番打者に起用されていた。しかし、夏場に2か月間本塁打が出ないほどの不振に陥ったことなどから、6月下旬以降は一軍復帰を果たせなかった。もっとも、シーズン終了後に2年連続で派遣されたAWBでは、リーグ戦18試合に出場。リーグ最多の10盗塁と打率.379を記録するなど、前年を上回る好成績を記録した。

2017年
前年に続けて、春季キャンプを一軍でスタート。自身と同じ左打ちの外野手である糸井嘉男が国内FA権の行使によってオリックスから移籍したことを背景に、一軍での出場機会を増やすべく、一塁の守備練習にも取り組み始めていた。しかし、キャンプの中盤に原因不明の頭痛が続いたことから、参加選手では最も早い離脱を余儀なくされた。2月11日に帰阪した後は半年以上チームから離れていたが、9月2日からトレーニングを再開。翌3日には、キャンプ離脱後の精密検査で脳腫瘍と診断されたことや、診断から半年にわたる入院加療によって症状が寛解したことを公表した。阪神球団では、横田が翌2018年2月のキャンプインを目標にリハビリに取り組むことを視野に、11月16日付で横田と育成選手契約を結んだことを発表。球団では、横田の背番号を124に変更した一方で、移行後の年俸を前年と同額(推定870万円)に据え置いた。さらに、横田が支配下登録選手へ復帰するまで、背番号24を空番として扱う方針を明らかにした。

2018年
安芸春季キャンプへ初日(2月1日)から参加。脳腫瘍からの実戦復帰に向けて、独自の練習メニューによる調整を主体に、全体練習の一部や打撃練習にも加わった。実戦への復帰には至らなかったものの、体調は徐々に回復。シーズン中には、ウエスタン・リーグの公式戦で、試合前の守備練習やイニング間のキャッチボールに参加していた。育成選手に関するNPBの規約に沿って、10月31日にNPBから自由契約選手として公示されたが、11月15日に育成選手としての再契約に至った。

2019年
春季キャンプで打撃以外のメニューにも参加したほか、ウエスタン・リーグの開幕後は、関西圏の球場で開催される公式戦でチームに帯同していた。しかし、「自分で打った球(の軌道や方向)が全く見えない」「(打撃練習で味方の)投手に投げてもらった球が二重に見える」などといった視覚面の問題が解消されず、実戦への復帰には至らなかった。球団からは翌2020年も育成選手契約を締結する方針が示されていたが、担当スカウトの田中が9月中旬にその旨を横田へ伝えたところ、「来シーズン(2020年)は苦しい」との表現で引退の意向を田中に吐露。9月22日に現役引退を正式を発表すると、同月26日に福岡ソフトバンクホークスとのウエスタン・リーグ最終戦(阪神鳴尾浜球場)で、2016年9月25日の同カード以来1096日振りの公式戦出場を果たした。当初は9回表から中堅の守備に就く予定だったが、二軍監督を長く務めている平田勝男の発案で、実際には8回表2死二塁の局面から出場。守備に就くなり市川友也が自身の頭上(左中間)へ放った適時二塁打の処理に追われたものの、次打者・塚田正義が打ったゴロ(記録は中前安打)を捕球すると、本塁へのノーバウンド送球で二塁走者の水谷瞬(市川の代走)を補殺するファインプレーで現役生活を締めくくった。この試合は阪神の二軍におけるシーズン最後の公式戦でもあったため、球団では試合終了後に、横田の引退セレモニーを開催。10月31日付で、NPBから自由契約選手として公示された。

現役引退後
阪神球団から「阪神タイガースアカデミー ベースボールスクール」コーチへの就任を要請されたが、「今は(脳腫瘍の影響で)視力に不安が残るので、小中学生に野球を教える仕事に就くことは厳しい」という理由で要請を固辞。育成選手契約期間の満了を機に阪神を退団したうえで、出身地の鹿児島県へ帰郷した。

帰郷後は、「誰の手も借りずに1人で生活することに一度挑戦したい」との意向から、鹿児島県内で単身生活を送りながら講演やコラム執筆などの活動を展開。2020年の8月下旬からは、阪神OB会長(元・外野手)の川藤幸三がYouTube上に開設している「川藤部屋」というチャンネルへ「プロデューサー」という肩書で参画するとともに、単独で(または川藤やゲストと共に)登場する動画を定期的に配信している。

その一方で、2020年の7月頃からは、足や腰の強い痛みに見舞われていた。鹿児島県内の整形外科で検査を受けたところ、脊髄に腫瘍が生じていることが判明したため、関西地方の病院へ6か月間にわたって入院。抗がん剤の投与や放射線治療によって腫瘍が完全に消滅したことから、退院後の2021年4月26日に「川藤部屋」から配信された動画で、退院までの経緯を初めて公表した。

2021年5月12日には、阪神入団までの道のりや、脳腫瘍を発症してからの苦悩などを綴った自身初の著書『奇跡のバックホーム』が幻冬舎から発売。同年12月13日の『逆転人生』(NHK総合テレビ)では、脳腫瘍が判明した後のリハビリから引退試合に至るまでの映像、本人がスタジオや阪神鳴尾浜球場での収録中に語った体験談、中村拳司が本人役とナレーションを務めた再現映像が「神様がくれた奇跡のバックホーム」というタイトルで放送された。

2022年には、前述の著書に基づくドキュメンタリードラマ『奇跡のバックホーム』を朝日放送テレビで制作。阪神ファンの間宮祥太朗が横田の役を演じるほか、テレビ朝日系列で3月13日に放送されることが発表されている。

選手としての特徴
「糸井二世」と評されるほど、身体能力が非常に高い。阪神入団直後の体力測定で約170キログラムを記録した背筋力は、2014年12月の測定で220キログラムまで増加していた。

打撃についても、高いレベルの技術やセンスを持つ。阪神入団2年目の2015年には、室内練習場で横田の打撃を視察した掛布(当時はゼネラルマネジャー付打撃&育成コーディネーター)から、「高卒2年目・左打ちの外野手としては(読売ジャイアンツに在籍していた時期の)松井秀喜以上」と絶賛された。

金本から「別格の守備範囲」と評されるほどの守備力の持ち主で、高校時代に投手としての出場機会も多かったことから、遠投で105メートルを計測したことがあるほど地肩が強い。また、50メートル走で6秒1を記録するほどの脚力で、高校時代にも対外試合で重盗や本盗を成功させていた。このように潜在能力が高いことから、金本は2015年10月19日の一軍監督就任会見で、横田を「期待できる若手選手」の1人に挙げていた。脳腫瘍の入院加療中には、近親者に対して、相当な金額の治療費を援助していたという。

現役生活でのラストプレーは、「練習でもできなかった」という引退試合でのノーバウンド送球で、「魂のバックホーム」「奇跡のラストプレー」と形容されるほどの賞賛を受けた。横田自身も、引退セレモニーでの挨拶で、このプレーに言及。「最後にまさかこんなに素晴らしい思いが出来るとは夢にも思いませんでした。今まで辛い思いをしてきたこともありましたが、自分に負けず、自分を信じて、自分なりに練習してきたので、『神様は(そのような自分の姿を)本当に見ている』と思いました」と述べた。引退後最初の著書にも、このプレーにちなんで『奇跡のバックホーム』というタイトルが付けられている。

エピソード
実父・真之のプロ野球生活最後のシーズン中(西武ライオンズに在籍していた1995年6月)に出生した関係で、生後3 - 4か月頃に真之の(引退試合としては開催されなかった)現役最後の試合を実母に抱かれながら西武ライオンズ球場(当時)で見ていたものの、真之のプロ野球選手時代をリアルタイムで知らない。真之から野球を教わったことはほとんどなく、中学生時代までは実母が自宅での練習に立ち会うことが多かったが、「(自分が)プロ野球選手を志し始めた頃に、(真之が引退後に所属していたプロ野球マスターズリーグの)福岡ドンタクズの試合を、球場のネット裏にかじりつきながら1人で見ていた」と述懐している。

鹿児島実業高校への在学中には、硬式野球部の寮で生活。1年時には、2学年先輩の野田昇吾と同じ部屋を充てられていた。また、樋口靖久(コミカルな演技で全国に知られている男子新体操部の監督)が担任を務めるクラスに3年間在籍。樋口からは、3年連続で学級委員長を任されていた。横田によれば、当時の硬式野球部の練習は「ホームシックになる暇がない(ほど厳しかった)」にもかかわらず、実母が認めるほど幼い頃から努力が好きなこともあって、「(硬式野球部を)辞めたい」とは全く思わなかったという。

阪神入団後の2017年に脳腫瘍が判明した発端は、二軍春季キャンプ中の紅白戦で一塁へ出た際に、突然パニックへ陥ったことにある。横田によれば、「進塁に向けたリード、投手が牽制球を投げる際の動き、牽制球に合わせて一塁へ戻る動きのイメージが湧かなくなった」とのことで、その後も通常ではあり得ないレベルのミスが続いたという。横田はこの時点で視覚の異常を周囲に伏せていたが、横田の異変を感じ取った二軍守備走塁コーチ(当時)の中村豊からの問い掛けがきっかけで、球団のトレーナーを伴って眼科の検査を受診。さらに、受診先の眼科医から紹介された外科でMRI検査を受けたところ、担当医から「脳腫瘍という大きな病気が見付かりましたので、野球のことはいったん忘れて下さい」と告げられた。

脳腫瘍からの実戦復帰へ向けてトレーニングを再開した際には、「同じ病気を持つ人達に夢や感動を与えられるように、これからの野球人生を頑張りたい」とコメント。中学3年生だった15歳で脳腫瘍を患った山﨑福也(オリックス・バファローズ投手)からは、「いつか交流戦か日本シリーズで(横田と)戦いたいです。リハビリは大変だと思うけど頑張って欲しい」というエールを送られた。折しも、この年には、入団以来指導を受けてきた掛布が二軍監督を退任。横田は9月26日に、広島とのウエスタン・リーグ最終戦(甲子園)後の退任セレモニーへ背番号24のユニフォーム姿で登場すると、ナインを代表して掛布に花束を贈った。

掛布の後任で2018年に阪神の二軍監督を務めた後に、金本の後任で2019年シーズンから一軍の指揮を執っている矢野燿大は、2018年10月18日の一軍監督就任会見で横田に言及。「(自分の二軍監督時代には)二軍でもまだ試合に出られていなかったが、(試合中は)ベンチで一番声を出していた。(一軍監督として)他の若手選手とともに(実戦復帰や一軍への再昇格を)楽しみにしている」と述べた。横田自身は一軍への復帰が叶わないまま、2019年限りで現役を引退したが、阪神球団では横田へのサポートを継続。引退記者会見や引退セレモニーを開催したほか、引退後に阪神球団の職員扱いでタイガースアカデミーのコーチ職を斡旋した。横田自身は前述した理由で斡旋を固辞したものの、退団を決めた直後には、「球団の方には、(退団するという)決断を(出すまで)2 - 3ヶ月待っていただいたので、本当に感謝しかない」とコメント。「自分が経験したことを言葉で伝えていきたい。誰かを励ましたり、苦しんでいる人を助けたりたい。『僕みたいに何か1つでも小さな目標を持っていけば、あの(引退試合での)バックホームのような良いことがある』ということを、自分の口で伝えていきたい」との意向も示していた。現に引退後は、講演や著述など、現役時代の経験を言葉で伝える活動を主に展開している。

阪神のホームゲームで打席に立つ際に流される登場曲については、入団1年目の2014年から2016年まで、高校野球全国大会の試合中継・関連番組でテーマソングに使われた楽曲を選んでいた(詳細後述)。脳腫瘍からの実戦復帰を目指し始めた2018年からは、「闘病中に勇気をもらった」という理由で「栄光の架橋」(ゆず)に変更。実際には打席に立つ機会がないまま2019年9月22日に現役引退を発表したが、発表当日の一軍公式戦(甲子園球場での対横浜DeNAベイスターズ戦)で先発を予告されていた望月惇志の希望で、望月がマウンドへ上がる際にこの曲が特別に流された。また、引退試合では打席に立つ機会がなかったものの、球団からの計らいで試合前の練習曲に「栄光の架橋」が使われた。

引退試合には、広島とのクライマックスシリーズ(CS)進出権争いが佳境に入っていた一軍から、矢野監督や多数の主力選手が集結。横田自身は、脳腫瘍から復帰してから「ライトポールが一番見えやすい」との理由でライトの守備しか練習していなかったため、引退試合でもライトを守ることを希望していた。しかし、試合の3日前に二軍監督の平田へ引退を報告したところ、平田から「お前が(阪神での)3年目(2016年)に(一軍の)開幕スタメンを取ったのはセンター(のポジション)だろう。エラーしたっていいから、センターを守れ!」と激励。この激励を受けて、試合までの2日間はセンターの守備練習に明け暮れていた。横田が引退後に聞いた話によれば、平田がイニングの途中(8回表2死)から横田をセンターの守備に就かせたのは、「横田が(ポジションを問わず)外野の守備へ必ずダッシュで向かう姿に好感を持っていたので、その姿を最後にファンへ見せたかった」とされる。

引退試合後のセレモニーでは、村山実の引退試合(1973年3月21日に甲子園球場で開かれた巨人とのオープン戦)さながらに「4人のチームメイト(高山、梅野隆太郎、北條史也、中谷将大)が作った騎馬の上に乗ってグラウンドに入場する」という演出が施されたほか、前述した2016年の一軍開幕戦でのスタメンがスコアボードに映し出された。ちなみに一軍は、引退試合の4日後(9月30日)に甲子園球場で開かれた中日とのレギュラーシーズン最終戦に勝利したことで、シーズンを6連勝で終えるとともに2年振りのCS進出を決めている。

脳腫瘍の入院加療に直面していた現役時代に続いて、引退後も2020年から2021年にかけて、腫瘍の治療で長期にわたって入院。入院中に体重が8kg減ったほか、一時は治療薬の注射器が体内に入らないほど衰弱していた。退院後には、「現役時代(の入院)と違って、(退院に向けた)目標がなくて苦労した。現に、(脳腫瘍の入院加療中は一切漏らさなかった)弱音を実母の前で吐いた」と告白する一方で、「今回もたくさんの方に支えられたおかげで、『2度目の命』をいただきました。感謝の気持ちでいっぱいです」とも述べている。

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