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日本テレビで放送されている映画番組「金曜ロードSHOW!/金曜ロードショー(金ロー)」で今日放送される映画「ショーシャンクの空に」の見逃し配信、ノーカット無料フル動画を無料視聴する情報や再放送のこと、あらすじやネタバレについてなどを紹介したいと思います!
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この記事の目次
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映画「ショーシャンクの空に」のあらすじ・ネタバレ
妻と愛人を殺した容疑で捕らわれた銀行の副頭取だったアンディー(ティム・ロビンス)は、無実を訴えるが聞き入れられず、ショーシャンク刑務所に投獄される。ショーシャンク刑務所では、ノートン所長(ボブ・ガントン)をはじめとする職員たちによる、受刑者への暴力が横行。刑務所の「しきたり」にも逆らうアンディーは孤立し、他の受刑者から嫌がらせを受けるように。そんな中、刑務所生活が長い“調達係”の囚人レッド(モーガン・フリーマン)と親しくなったアンディーは、少しずつ刑務所での暮らしに慣れていく。
アンディーが入所した2年後のあるとき、ハドレー主任(クランシー・ブラウン)が抱えていた遺産相続問題を解決したのをきっかけに他の受刑者からも一目置かれる存在となる。銀行マンとしての経験を生かしてノートン所長たちの資産運用などを手伝いながら日々を過ごしていたある日、トミー(ギル・ベローズ)という男が刑務所にやってくる。気のいいトミーはレッドたち囚人ともすぐに打ち解け、アンディーから文字の読み書きなどを教わった末に、高校の卒業資格の取得に成功する。トミーが、アンディーの妻が殺された事件の真犯人に心当たりがあると知ったアンディーは、ノートン所長に再審請求を要求するが…。
映画「ショーシャンクの空に」のネタバレ
1947年、メイン州ポートランド。若くして銀行副頭取を務める優秀な銀行員アンドリュー・デュフレーン (アンディ)は、妻とその愛人を射殺した罪に問われる。無実を訴えるも終身刑の判決が下り、劣悪なショーシャンク刑務所への服役が決まる。ショーシャンクでは、長年服役する「調達屋」ことエリス・ボイド・レディング(レッド)が、もう何度目かとなる仮釈放の審査を受け、更生したことを訴えるがやはり却下される。レッドが落胆し部屋を出ると、アンディを含む新しい受刑者達が護送されて来る。アンディら新入り達はノートン所長とハドリー主任刑務官から脅しを含めたショーシャンク刑務所の紹介をされ、その晩に取り乱した一人の新人受刑者がハドリーから過剰暴力を受けて死んでしまう。
孤立していたアンディはやがてレッドに声をかけ、鉱物採集の趣味のため小さなロックハンマーを注文する。それをきっかけにアンディはレッドと交友を重ね始める。他方、アンディは荒くれ者のボグズとその一味に性行為を強要され、抵抗のため常に生傷が絶えない生活が続いた。
1949年、アンディは屋根の修理作業中、ハドリーの遺産相続問題を知り、財務経理の知識を駆使し作業仲間達へのビールと引き換えに解決策を提案する。ビールを手に入れ仲間達から尊敬される一方で、ハドリーら刑務官からも一目置かれるようになる。その後ボグズらがアンディを襲って全治1ヶ月の重傷を負わせるも、彼はハドリーに半殺しにされ、以後、アンディを襲う者はいなくなる。アンディが治療を終え自分の房に戻ってくると、レッドに注文していたリタ・ヘイワースの大判ポスターが退院祝いとして置かれていた。
やがて、アンディは図書係に配置換えとなり、もう50年も服役している老囚人ブルックスの助手となる。だが、その本当の目的は所長や刑務官達の税務処理や資産運用をアンディに行わせるためだった。アンディは有能な銀行家としての手腕を発揮する一方で、名ばかりだった図書係としても精力的に活動を始め、州議会に図書館予算の請求を毎週送るようになる。
1954年、ブルックスに仮釈放の許可が下りるが、50年服役した老人は塀の外の生活への恐れから取り乱す。アンディらに説得され、仮釈放を受け入れるが、結局、外の生活に馴染むことはできず、最期は首を吊って死んでしまう。死の間際に送られた感謝の手紙を読んでアンディとレッドは苛まれる。一方、手紙に根負けした州議会はわずかばかりの寄付金と古書をショーシャンク刑務所に送ってくる。アンディは送られてきた荷物の中に『フィガロの結婚』のレコードを見つけ、それを勝手に所内放送で流したことで懲罰房送りとなる。その後、仲間達からレコードを流した理由を尋ねられ、アンディは「音楽と希望は誰にも奪えないものだ」と説明するが、レッドは「そんなもの(希望)は塀の中じゃ危険だ」と反論する。
1963年、アンディが州議会にさらに手紙を送り続けた結果、年度毎の予算まで獲得し、倉庫同然だった図書館は囚人達の娯楽と教養を得る場となっていた。その頃所長は、囚人達の社会更生を図るという名目で、彼らを労働力として野外作業をさせ始め、裏ではそのピンハネや土建業者達からの賄賂を受け取り始める。そしてアンディは「ランドール・スティーブンス」という架空の人物を作り出し、その多額の不正蓄財を見事に隠蔽していた。
1965年、新たに入所したコソ泥の青年トミーは、すぐにレッドの仲間達と打ち解け、アンディも彼を気に入る。更生を望むトミーにアンディは文字の読み書きから勉強を教え始め、やがて高校卒業資格を申請するにまで至る。トミーはアンディの過去を知ると、その真犯人に心当たりがあることを話す。アンディは所長に再審請求したいと頼み込むが、優秀な経理担当者であると同時に不正蓄財を知っている彼を自由にさせる気のない所長は、アンディを懲罰房に入れ考えを改めるよう迫る。1ヶ月経っても折れないアンディに業を煮やした所長は、冤罪証明の鍵を握るトミーを脱走を企てたとして射殺してしまう。
トミーの死から1ヶ月後、アンディは再び不正経理を行うことを条件に懲罰房から出される。しかし、アンディの様子はどこかおかしく、メキシコのジワタネホ(英語版)の話をしたり、レッドに要領を得ない伝言を残す。レッドら仲間達はアンディが自殺を考えていると疑い、嵐の晩に心配が募る。
翌朝の点呼の際、アンディが房から消えていることが発覚する。所長やハドリーもアンディの房に向かい、リタ・ヘイワースからマリリン・モンローへ、そしてラクエル・ウェルチへと代替わりしていたポスターの裏の壁に大穴が開いていることを見つけ出す。アンディは約20年間ロックハンマーで壁を掘り続け、ついに1966年、脱獄したのだった。アンディはその足で銀行に向かいスティーブンスに成りすまして所長の不正蓄財を引き出すと同時に告発状を新聞社へ送り、難なくメキシコへ逃亡する。そしてアンディの告発状によってハドリーは逮捕され、所長は拳銃自殺する。
間もなくレッドは服役40年目にしてようやく仮釈放されるが、ブルックスと同様に外の生活に順応できない。ブルックスと同じ悲劇への道を辿りかけるが、レッドはアンディの伝言を信じてメキシコのジワタネホへ向かう。そして、美しく青い海の浜で悠々自適の生活を送るアンディと再会し、喜びの抱擁を交わしたのだった。
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映画「ショーシャンクの空に」について
「ショーシャンクの空に」は、1994年に公開されたアメリカ映画。刑務所内の人間関係を通して、冤罪によって投獄された有能な銀行員が、腐敗した刑務所の中でも希望を捨てず生き抜いていくヒューマン・ドラマ。原作はスティーヴン・キングの中編小説『刑務所のリタ・ヘイワース(Rita Hayworth and Shawshank Redemption)』。監督・脚本はフランク・ダラボンが務め、彼の出世作である。主人公の銀行員アンドリュー・デュフレーン(アンディ)をティム・ロビンス、囚人仲間の調達屋エリス・レディング(レッド)をモーガン・フリーマン、悪徳な刑務所長サミュエル・ノートンをボブ・ガントンが演じ、他にウィリアム・サドラー、クランシー・ブラウン、ギル・ベローズ、ジェームズ・ホイットモアらが脇役として出演している。
ダラボンがキングから映画化権を購入したのは1987年であったが、着手したのはその約5年後であり、脚本を書くのに8週間掛かったという。キャッスル・ロック・エンターテインメント社に脚本を提出した2週間後、ダラボンは2,500万ドルの予算を確保して1993年1月に本作の製作を開始した。映画の舞台はメイン州だが、撮影のほとんどはオハイオ州のマンスフィールドで行われ、同地のオハイオ州立少年院跡がショーシャンク刑務所となった。当初アンディ役にはトム・ハンクスやトム・クルーズ、ケビン・コスナーなど、当時のスター俳優が検討された。音楽はトーマス・ニューマンが担当した。
公開当時は、ストーリーやロビンスとフリーマンの演技を中心に批評家たちから高い評価を受けたものの、興行収入は1,600万ドルに留まるなど興行的には失敗した。当時は『パルプ・フィクション』や『フォレスト・ガンプ』といった強力な競合作が存在したこと、女性の登場人物が少ない、タイトルが観客に分かりにくいなど多くの理由が、不振の原因として挙げられた。しかし、その後アカデミー賞で7部門にノミネートされ、劇場再公開や海外収益で最終的な興行収入は5,830万ドルに達した。
さらに全米で32万本以上のレンタルビデオが出荷され、賞へのノミネートや口コミにより1995年に最もレンタルされた映画作品となった。ターナー・ブロードキャスティング・システムが製作スタジオのキャッスル・ロックを買収したことで放送権を獲得し、1997年からターナー・ネットワーク・テレビジョン(TNT)で定期的に放映されるようになり、その人気はさらに高まった。現在では多くの人から映画史に残る傑作の一つとして認識されている。公開から数十年経った今でも定期的に放送されており、様々なアンケートにおいて好きな作品、視聴者や著名人がインスピレーションを受けた作品として挙げられるなど人気を博している。2015年には、アメリカ議会図書館によって、アメリカ国立フィルム登録簿に「文化的、歴史的、芸術的に重要な映画」として保存されることが決定した。
本作はキリスト教神秘主義に基づいていると解釈されている。アンディは救世主としてキリストのような人物として描写されており、レッドは序盤において彼を自分たちを包み込み、ショーシャンクから守ってくれるようなオーラを持つと表現している。アンディと何人かの囚人たちが刑務所の屋根を修理する場面は、アンディが12人の弟子(受刑者)のためにワイン(ビール)を手に入れるという最後の晩餐を模したものと見ることができ、フリーマンが彼らに説明するように、主がイエスを遣わせたと表現される。監督のダラボンは、これは意図した演出ではなく、観客たちが自分なりの意味を見出して欲しいと答えている。「フィガロの結婚」のレコードを見つけたことは、台本の中で聖杯を見つけたようなものだと表現されており、囚人たちが手を止め、病人たちをベッドから立ち上がらせている。
映画の前半においてノートン所長がアンディに自己紹介する際、「我は世の光だ(I am the light of the world)」とイエスの言葉を引用して自分がアンディの救世主であることを暗示するが、これは「光をもたらす者」であるルシファー(サタン)を示唆しているとも見れる。実際にノートンは、一般的なルールである法律に則るのではなく、自分が考えたルールや罰則を執行し、サタンのように自分自身を法としている。また、ノートンはリチャード・ニクソン元大統領とも比較される。彼の外見や公の場での演説はニクソンのそれを反映していると見られる。同様に、ノートンが聖職者のイメージを打ち出し、従順な大衆に対して聖人のように語りかけながら、裏では不正な詐欺行為を働いていたのも、ニクソンのそれである。
ジワタネホ(英語版)は天国あるいは楽園のようなものとして扱われる。劇中でアンディはここを「記憶のない場所(no memory)」と表現し、「平穏(peace)」を意味する太平洋(Pacific Ocean)において、罪は忘却や洗い流されることで、赦しを得ることができると語っている。ジワタネホに逃げる可能性は、アンディが妻の死に責任を感じたことを認めた後に始めて提示される。同様にレッドの自由は彼が自分自身を救うことも、自分の罪を贖うこともできないことを受け入れたときに始めてもたらされる。フリーマンはレッドの物語について、自ら贖罪を見つけたアンディとは異なり、彼は無実ではないため、これは救済の物語であると表現している。ジワタネホを(キリスト教的な意味の)天国と解釈するキリスト教徒の観客もいるが、善悪といった伝統的な概念に依らない、ニーチェ的な虚無と解釈することもでき、手に入れる過去の喪失は罪の赦しではなく破壊であり、アンディの目的は世俗的かつ無神論的なものであることを意味する。アンディをキリストのような人物と解釈するのと同じように教育と自由の経験によって脱出するのはツァラトゥストラのような預言者と見ることもできる。映画評論家のロジャー・イーバートは、本作を絶望的な状況に置かれた時に自尊心を維持するための寓話であると指摘した。アンディの誠実さは、それに欠けた刑務所内と対比されるストーリーラインの重要なテーマである。
ロビンス自身は、ジワタネホというコンセプトが観客の心に響くのは、人間関係や仕事、環境など、各々が長年過ごしてきた様々な「牢獄」から生き残った後に達成できる逃避行の形を表しているからだと指摘している。また、このような場所が存在することが重要だとも述べている。アイザック・M・モーハウスは、この映画が登場人物たちの人生観の違いによって、刑務所の中でも自由に振る舞える者や、自由であっても投獄されたりすることをよく表していると指摘している。哲学者のジャン=ポール・サルトルは、自由とは注意と立ち直る力を要する継続的なプロジェクトであり、それがなければ他人や制度によって規定されてしまうと述べている。これは受刑者が自分の人生を規定するために刑務所に依存するようになる、というレッドの思想に表れている。アンディは、所内放送で音楽を流したり、資金洗浄を続けることを拒絶や反抗することで回復力を発揮する。
劇中の多くの要素は、映画が持つ力への賛辞とみることができる。例えば受刑者たちが映画『ギルダ』(1946年)を観るシーンがあるが、この場面はもともと『失われた週末』(1945年)の予定であった。作品が入れ替わったということは、このシーンの鍵は上映されている作品自体ではなく、映画の体験の方であり、男たちは現実から逃避することができるということを示唆している。このシーンの直後、アンディは映写室でボグズ一派に襲われ、フィルムリールを使って彼らを撃退する。そして映画の終わりにてアンディは映画のポスターで隠された壁の穴を通り抜け、独房、そしてショーシャンク刑務所からの脱出を果たす。
アンディとレッドの関係は他の映画ではあまり見られない男同士のノンセクシャルな物語だと評されており、例えば窃盗を働いたり、カーチェイスをしたり、あるいは異性関係を踏まえて友情が築かれたりはしない。哲学者のアレクサンダー・フックは、アンディとレッドの真の自由は、喜びやユーモアを共有できる友情だと指摘した。
企画・脚本
ダラボンとスティーヴン・キングの関係は、『312号室の女(英語版)』の短編映画化の権利を1ドルで購入して1983年に製作したことから始まる。これは、新人監督が履歴書を作成できるように、キングが自身の短編小説の映画化権を1ドルで与えるものであった(ダラーディール)。1987年に『エルム街の悪夢3 惨劇の館』で職業脚本家として認められた後、ダラボンはキングに掛け合い、5,000ドルで1982年に出版されたキングの作品集『恐怖の四季』に収録されている96ページの小説『刑務所のリタ・ヘイワース』の映画化権を購入した。『恐怖の四季』は、キングの代名詞であるホラー小説以外のジャンルを開拓するものであった。キングは囚人仲間のアンディに思いを馳せるレッドに焦点を当てた作品がどのような長編映画になるのか皆目見当もつかなかったが、ダラボンは「自明なこと」と考えていた。キングはダラボンからの5,000ドルの小切手を換金せず、後には額に入れて、次のようなメモを添えてダラボンに返した。「もし保釈金が必要になったときのために。愛をこめて、スティーブン」。
その5年後にダラボンは8週間かけて脚本を書き上げた。彼は原作の要素を膨らませた。原作では老人ホームで死んでしまう脇役のブルックスは、最終的に首を吊る悲劇の人物になった。アンディの容疑を晴らせるにも関わらず、所長との取引に応じてより良い刑務所へ移送されたトミーは、原作における複数の所長を主要な敵役として一人に統合したノートン所長の命令で射殺される形に翻案された。ダラボンはインスピレーションの源として、『スミス都へ行く』(1939年)や『素晴らしき哉、人生!』(1946年)などのフランク・キャプラ監督作品を挙げ、本作は刑務所映画というより、それらと同じほら話(tall tale)だと述べている。また、『グッドフェローズ』(1990年)を参考にして時間の経過を台詞で表現したり、ジョン・フランケンハイマー監督の刑務所映画『終身犯』(1962年)を参考にしたという。ロケ地を探していたダラボンは、同じく刑務所を舞台にした『ウォール・オブ・アッティカ/史上最大の刑務所暴動』のロケ地を探していたフランケンハイマーと偶然出会った。ダラボンは、彼が撮影の合間を縫って自分を励まし、助言してくれたと回顧している。
当時、刑務所が舞台の映画で高い興行成績は望めないと考えられていたが、脚本を読んだ当時のキャッスル・ロック・エンターテインメントのプロデューサー、リズ・グロッツァーは興味を持ち、キャッスル・ロックが『ショーシャンクの空に』の製作をしなければ辞職するとまで会社を脅した。キャッスル・ロックの共同設立者兼監督であるロブ・ライナーも脚本を気に入り、240万ドルから300万ドルを提示して自分が監督になろうとした。1982年のキングの短編小説『スタンド・バイ・ミー』を1986年に映画化していた経験を持つライナーは、アンディ役にトム・クルーズ、レッド役にハリソン・フォードを起用する計画を立てていた。
キャッスル・ロックは、ダラボンが構想を立てていた他の映画の資金調達をも申し出た。ロサンゼルスの貧しい出自であったダラボンは、このオファーを真剣に検討し、業界での自分の地位を高めることができると考えた。また、契約上は、キャッスル・ロックを辞めてライナーに映画を引き渡す可能性もあったが、後に2014年のバラエティ誌でのインタビューにおいて、「お金と引き換えに夢を先送りにし続けて、自分がやりたいことを一度もやらずに死ぬことはできない」と述べ、監督を続けることを選んだという。ライナーは、代わりにこのプロジェクトにおけるダラボンのメンターを務めた。キャッスルロックに脚本を見せてから2週間で、ダラボンは自分の映画を撮るための2500万ドルの予算を獲得し(また、75万ドルの脚本・監督料と純利益のパーセンテージを取る)、1993年1月にプリプロダクションが開始された。
キャスティング
モーガン・フリーマンの起用は、「レッド(赤)」と呼ばれるアイルランド系白人の設定を無視したリズ・グロッツァーの提案によるものであった。劇中ではアンディから「なぜレッドと呼ばれるのか」と尋ねられたレッドが「アイルランド人だからかもな」と答えて、このエピソードを示唆するシーンがある。フリーマンは自分の役柄(囚人)について事前に調べないことを決め、この理由について述べている。「収監された人物を演じるのに、監獄についての特別な知識は必要ない。(中略)なぜなら男は変わらないからだ。ひとたびそのような状況に置かれれば、自分がなすべきことに従うだけさ」。ダラボンは別の刑務所ドラマ『ブルベイカー』(1980年)での脇役からフリーマンのことを知っていた。また、ロビンスは、ザ・エレクトリック・カンパニーの子供向けテレビ番組で彼を見て育ったために、役者として共演できることに興奮していた。
ダラボンは当初、自分が気に入っているジーン・ハックマンやロバート・デュヴァルなどの何人かの俳優をアンディ・デュフレーン役にキャスティングしようとしていたが、彼らは出演できなかった。他にクリント・イーストウッドやポール・ニューマンも候補に挙がっていた。トム・クルーズ、トム・ハンクス、ケビン・コスナーにもオファーがあったが、ハンクスは『フォレスト・ガンプ』、コスナーは『ウォーターワールド』の主演が決まっており、出演は見送られ、またクルーズは脚本の読み合わせに参加したが、経験の浅いダラボンの下で働くことを危惧し、辞退した。さらにジョニー・デップ、ニコラス・ケイジ、チャーリー・シーンも様々な段階で候補に挙がっていた。ダラボンは、1990年に公開されたサイコホラー『ジェイコブス・ラダー』でのティム・ロビンスの演技を見て、彼の起用を決めたという。ロビンスの出演が決まると、彼は『未来は今』で一緒に仕事をした経験のある撮影監督ロジャー・ディーキンスを使うようにダラボンに要求した。ロビンスは役作りのために動物園で檻の中の動物を観察したり、午後は独房で過ごして囚人や看守と会話し、手足を数時間拘束される経験もした。
当初、若い囚人のトミー役はブラッド・ピットであったが、『テルマ&ルイーズ』での成功により降板し(後釜は当時デビューしたばかりのギル・ベローズになった)、ジェームズ・ガンドルフィーニもまた強姦魔ボグス役を降板した。ボブ・ガントンがノートン所長役のオーディションを受けに来たのは、彼がまだ『デモリションマン』(1993年)の撮影中の時であった。ダラボンとプロデューサーのニキ・マービンは、ガントンがこの役にふさわしいことをスタジオに納得させるために、『デモリションマン』の撮影が終わった日に、ガントンにスクリーンテストを受けさせた。『デモリションマン』での役作りのため、髪を剃っていたガントンのためにカツラが用意された。ガントンは物語の進行に合わせてノートンの老いを表現するために、髪を灰色にすることを考えていた。彼はロビンスと一緒にスクリーンテストを行い、それをディーキンズが撮影した。出演が決定してから映画の序盤部分においては髪の毛が生え変わるまでカツラを使用していた。また、ダントンによれば、彼とロビンスの身長が同じであるがゆえに、アンディが看守(所長)のスーツを着用するプロットを設けたことをマーヴィンとダラボンが語っていたという。
バイロン・ハドリー看守長を演じたクランシー・ブラウンは、製作サイドから役作りの一環として元看守から話を聞く機会を与えられたが、もし自分の残忍なキャラクターがオハイオ州の矯正官からインスピレーションを受けたものだったということになれば良い話ではないと考え、断ったという。ヘイウッドを演じたウィリアム・サドラーは、1989年にダラボンが脚本を担当していたテレビシリーズ『ハリウッド・ナイトメア』の撮影現場において、彼が予定していた映画化作品への出演を打診されたと語っている。フリーマンの息子であるアルフォンソは、レッドの若い頃を写した顔写真や、アンディがショーシャンクに到着したときに「fresh fish」と叫ぶ囚人役でカメオ出演している。映画に出演したエキストラの中には少年院の元所長や元受刑者、近隣の収監施設の現役看守などがいた。また、原作の原題から勘違いし、リタ・ヘイワースという存在しない役のオーディションを受けようとした者も現れ、その中には女装した男性すらいた。
撮影
2,500万ドルの予算で、1993年6月から8月までの3ヵ月間で主要な撮影は行われた。撮影は週6日、最大18時間労働が常態化していた。フリーマンは、「ほとんどの場合、キャストと監督の間に緊張感があった。監督との間で嫌なことがあったのを覚えているよ、何度かあったんだ」と、現場が張り詰めていたことを語っている。また彼は、ダラボンが何度もリテイクを重ねることを要求したことについても言及し、その各テイクに明確な違いなどなかったと自分は考えていたという。例えば、アンディがレッドにロックハンマーの調達を依頼するシーンでは撮影に9時間を要し、フリーマンは他の囚人役と一緒にキャッチボールばかりする羽目になった。何テイクも撮影したがために、翌日の撮影ではフリーマンは腕にスリングを巻いて挑むことになった。彼は時には追加の撮影を断ることすらあった。ロビンスもまた長時間の撮影がきつかったと語っている。ダラボンは「監督は俳優が何を必要としているかを測るために、自分の中にバロメーターを持つ必要がある」と、この映画製作において多くのことを学んだと述べている。ダラボンはディーキンズとの間で頻繁に最も議論を交わしたという。ダラボンは良い景色のショットを好んだが、ディーキンズは刑務所の閉鎖的な感じを出すためにあえて外部を見せないようにし、そしてそれは広い景色のショットが使われたときに、より大きな効果を出すことを意図していた。
マーヴィンは5ヶ月かけてアメリカとカナダの刑務所のロケハンを行い、時代を超越した美的感覚を備え、完全に放棄されている場所を探した。これは現在も稼働中の刑務所で行うとすれば毎日何時間も必要な撮影をしなければならない複雑な作業と、それにともなうセキュリティ上の問題を避けるためであった。マーヴィンは最終的にメイン州にある架空のショーシャンク州立刑務所として、オハイオ州マンスフィールドにあるオハイオ州立少年院(英語版)を選んだ。ゴシック様式の石とレンガでできた建物が特徴的だった。この場所は撮影の3年前の1990年に非人道的な生活環境を理由に閉鎖された施設であった。
15エーカーほどの少年院には自家発電所や農場もあったが、撮影後には管理棟と2つの独房棟を残して取り壊された。入所者用の部屋や所長室など、刑務所の専門施設の内部撮影のいくつかは、この少年院で行われた。仮釈放を受けたブルックスとレッドが使っていた下宿屋の内部も管理棟で撮影されたが、その外観は別の場所での撮影だった。刑務所の独房内のシーンは、近くのウェスティングハウス・エレクトリック社のシャッター工場内に作られたサウンドステージで撮影された。ダラボンは独房棟の構造を檻が向かい合わせの状態にしたかったために、独房のシーンのほとんどはこの専用セットで撮影されることとなった。ただし、トミーの回想で真犯人のエルモ・ブラッチが罪を認めるシーンは、実際の刑務所の、より狭い独房で撮影がなされた。また、マンスフィールドや隣のオハイオ州アッシュランドでも撮影が行われた。アンディがレッドへの手紙を埋める樫の木(ショーシャンクの木)は、オハイオ州ルーカスのマラバーファーム州立公園の近くにあった。これは2016年に強風で折れてしまった。
オハイオ州の少年院がメイン州の架空の刑務所の代わりになったように、アンディとレッドが再会を果たしたメキシコのジワタネホの浜辺のシーンも、実際にはカリブ海にある米領ヴァージン諸島のセントクロイ島で撮影されたものであった。ジワタネホのビーチは、オサガメの保護を目的としたサンディポイント国立野生生物保護区に指定されている。アパーサンダスキーでは、レッドと仲間の受刑者が『フィガロの結婚』を聞く刑務所の木工所(この木工所は現在「ショーシャンク木工所」と呼ばれている)のシーンや、ワイアンドット郡裁判所で行われた冒頭の裁判所のシーンが撮影された。その他の撮影場所としては、妻の浮気現場近くの森の中でアンディが待っていた所はマラバー・ファーム州立公園内のピュー・キャビンであり、オハイオ州のバトラーがメイン州のバクストンの代わりとなり、マンスフィールドのビスマン・ビルディングはブルックスが釈放後に滞在した社会復帰訓練所となった。
アンディが刑務所から脱出するシーンにおいて、彼が下水管に侵入する際、当初ダラボンは小型のロックハンマーを用いることを想定していたが、現実的ではないと判断し、拳大の石に変更された。劇中では「クソの川」と表現される下水管を通って脱出を果たす印象的なシーンが描かれるが、これは実際には水とチョコレートシロップとおがくずが混ざったものであった。その後、アンディが到着する小川は、制作のテレンス・マーシュによれば、科学者によって有毒だと判断されていた。このため、製作チームは、川を堰き止め、水深を深くし、部分的に塩素消毒も行なった。このシーンについてロビンスは、「映画をやっているときは、良き兵士になりたいと思うものだーー迷惑な存在にはなりたくない。だから、俳優として身体の健康や安全を損なうようなことをやってしまう」と語っている。この脱出シーンは、本来はアンディが野原を抜けて列車に乗り込む、というもっと長くてドラマチックなものが予定されていたが撮影が一晩しかできなかったために、彼が水の中で勝利の喜びに浸るシーンに短縮された。ディーキンズは今まで自分が関わった作品の中で、このシーンを最も嫌いなものに挙げており、「光を当てすぎた」と述べている。この彼の自己評価についてダラボンは同意せず、限られた撮影スケジュールの中で、ディーキンズは時間をかけて正確に撮影したこと、そして何をどのように撮影するかを正確に決めなければならなかったと述べている。また、ダラボンは2019年のインタビューで、独房の壁の穴から出てくるロビンスの顔をクローズアップして撮影できなかったことを後悔していると述べている。
アンディが反抗的に所内放送で音楽を流すシーンにおいて、彼が音楽を止めるどころか大きくしたのはロビンスのアイデアである。劇中では囚人たちがリタ・ヘイワースが出演する『ギルダ』(1946年)を観るが、本来はアルコールの危険性を啓発するビリー・ワイルダーの『失われた週末』(1945年)のはずであった。これは、パラマウント映画から映像を調達するにはコストがかかりすぎるため、プロデューサーのニキ・マービンが『ショーシャンクの空に』の国内配給権を持つコロンビア ピクチャーズに働きかけ、受け取った低価格の作品リストに『ギルダ』があったためであった。撮影は主に刑務所内とその周辺で行われたため、劇中の様々な時代を通して描かれるシーンは、ほぼ時系列に沿って撮影されている。これは俳優たちの実生活での人間関係と劇中の人間関係の進展に関連し、演技の助けとなった。ダラボンは、アンディがレッドにメキシコへ行く夢を語るシーンは、最後に撮影されたシーンの1つであり、映画製作を振り返る上でも最も重要なシーンであったとコメントしている。また、わずか数テイクでこのシーンを完成させたロビンスとフリーマンにも称賛を送った。
撮影後
劇場公開された映画の完成版(ファイナル・カット)は142分で、撮影中にエイズで亡くなったダラボンの元エージェント、アレン・グリーンに捧げられた。最初の編集版は2時間半近くもあってグロッツァーが長いと判断し、レッドが投獄されてから刑務所に馴染むまでの長いシークエンスなど、いくつかのシーンがカットされた。このレッドのシーンに関してダラボンは、試写会では観客たちがレッドが成功しないことを確信していたために焦れていたようだったと述べている。他に時間の問題でカットされたシーンには、アンディの脱獄したトンネルを調査する刑務官の姿を映したものがあり、これはテンポが悪くなると考えられてカットされた。また、当初はアンディの犯行の様子を描いたコールドオープンで始まり、オープニングクジレット全体で彼の裁判の様子を描くというものであったが、より「パンチの効いた」オープニングにするために、これらのシーンは編集された。ダラボンが自己最高傑作と評した脚本上のある場面は、撮影スケジュールの関係で撮られることがなかった。そのシーンは夢を見ていたレッドがリタ・ヘイワースのポスターに吸い込まれ、太平洋の海岸で孤独で取るに足らない自分を発見して「恐ろしい、帰る方法がない(I am terrified, there is no way home.)」と言うものであった。ダラボンはこのシーンを撮影できなかったことを後悔しているという。
ダラボンのエンディングの当初の構想は、レッドがバスに乗ってメキシコ国境に向かう姿までで、その後の運命については曖昧なままであった。グロッツァーは、レッドとアンディがジワタネホで再会するシーンを入れることにこだわった。彼女によれば、ダラボンは「商業的で感傷的な(commercial, sappy)」エンディングと感じていたが、彼女自身は2人の再会を観客に見せたかったという。キャッスル・ロックはこのシーンを入れなくても撮影資金は出すことに同意し、最終的な決定権はダラボンに任せた。このシーンは当初アンディとレッドが初対面の時の台詞を復唱する長い再会の場面もあったが、ダラボンは「何てこった、俺たち可愛くない?(golly-gee-ain't-we-cute)」と言ってカットした。浜辺での再会は試写会の観客たちが気に入ったシーンだった。フリーマンとロビンスも、このシーンが必要な終わりをもたらすものだと感じていた。ダラボンは試写会の観客の反応を見た後、「私は思う。登場人物たちが長い冒険譚(サーガ)の末にたどり着く、不思議かつ高揚感を覚える場所だった……」と言い、このシーンを入れることを決めた。
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