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テレビ東京の土曜スペシャル枠で放送されているバラエティ番組「中山秀征の秘境路線バスの旅」の見逃し配信、無料フル動画を無料視聴する情報や過去放送回、再放送のことなどについてなどを紹介したいと思います!
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この記事の目次
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「中山秀征の秘境路線バスの旅」石川・羽咋から富山・高岡へ
「あなたの思い出の一曲は何ですか?」出会った人達の「特別な一曲」の発売年をすごろくに石川・羽咋から富山・高岡へ▼今夜6:30は初夏の日光・鬼怒川へ!
「すいません! あなたの思い出の一曲は何ですか?」
旅のルールそれは…「地元の方々の思い出の1曲を伺い、その発売年の下2ケタの合計分だけバス停を進める」というもの。
例えば1975年発売の曲は「7+5=12マス」!
道往く老若男女の中から1人選び、その方の思い出の1曲から旅は展開していきます!
さらに、途中には3つのチェックポイントが!「能登前寿司」「和倉温泉」「寒ブリ」といういずれも冬の北陸の魅力たっぷり!
冬の旅の中で出会った思い出の1曲に秘められた感動のエピソードも満載!
果たして、1泊2日でゴールできるのか?
「中山秀征の秘境路線バスの旅」出演者
中山秀征、IMALU
「中山秀征」について
「中山秀征」は、日本の男性タレント、司会者、俳優、元お笑いタレント。ワタナベエンターテインメント所属。愛称はヒデちゃん・ヒデさん。
群馬県藤岡市出身。身長173cm、体重58kg。藤岡市立神流小学校→藤岡市立北中学校(3年の2学期一杯まで)→川崎市立柿生中学校(3年の3学期のみ)→神奈川県立柿生高等学校中退。妻・白城あやか(元宝塚歌劇団星組トップ娘役)との間に4人の息子がいる。
実家は工場「中山縫製」を経営していた。中山も少年時代に永谷園のお茶漬けの袋詰を手伝った事がある。当時工場では歌謡曲をBGMとして流した状態で従業員が仕事をしていた。中山は休憩時間に従業員の前で殿さまキングス、フィンガー5、御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)、石原裕次郎を歌い握手して回るなどの行動をしていた。
芸能界への憧れを抱いたのは5歳の頃。遊園地「カッパピア」でフィンガー5のイベントを観覧した際にメインボーカルの晃と歌えるコーナーがあり、数人の子供達がステージに上がれたがちょうど自身の前で締め切られ、その時に「客席で熱狂するより、ステージに立ちたい」と思うようになったという。
小・中学校時代には芸能人野球大会で活躍したいからという理由で野球を始め、アクションもできるようにという理由で器械体操、カッコよくサインを書くためにという理由で書道も習った。中学時代には友人と共にたのきんトリオを真似た『クソガキトリオ』を結成。母に田原俊彦のようなレッグウォーマーを作ってもらったらしく、この頃には既に自身のサインを考え周囲に渡して回っており、引いていた同級生も多かったという。また、写真週刊誌「FOCUS」などに過去の自分が掲載されるのが嫌という理由で女子生徒との2ショット写真を撮らなかった。
その後俳優を志し、3ヶ月でデビューできなければ辞めるつもりで、1981年に東京の児童劇団「エヌ・エー・シー」に入団。それから3ヶ月後に、火曜サスペンス劇場『狙われた女教師』(1982年4月20日、日本テレビ系列)の準主役を射とめて芸能界デビュー。学校や近所で話題になるが、長くは続かず、オーディションを受けても落ちる日々が続く。母を説得した末に東京近郊の高校へ進学するため、群馬を飛び出して中学3年の3学期から神奈川県川崎市の中学校へ転校。知人や学校の先生の家に下宿しながら数々の芸能事務所のオーディションを受け続ける。この事情から当時周囲につけられたニックネームは「グンマ」だったという。本人は15歳で上京した理由について「自分でもわからない」「無鉄砲だった」と振り返っている。また、下宿先では周囲との関係が上手くいかず死を意識した時期がある事も語っている。
1984年に渡辺プロダクションの新人募集オーディションに歌手として合格。しかし「歌も芝居もいまいち(本人談)」で、当時のマネジャーに「歌や芝居は、バラエティーで天下をとれたら全部やれる」と言われ、藁をもつかむ思いでバラエティ路線を選ぶ事になり、若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAY(ビッグサースデー)」の第1期生として参加(同期には後に『ホンジャマカ』として活動する石塚英彦がいた)。中高生の頃に芸能界入りしたため年上の同期や後輩、同世代の後輩が多い。
翌1985年、同プロダクションの松野大介(現:小説家)とコンビ『ABブラザーズ』を結成。同年、フジテレビ『ライオンのいただきます』のアシスタントとしてデビュー。そしてニッポン放送『ABブラザーズのオールナイトニッポン』(1985年10月 - 1987年7月)を担当するなど若い女性を中心に人気を博する。また、単独でもドラマや映画で主演を務めたり、レコードデビューも果たした。しかし『いただきます』を降板した1989年を境に人気は低下。勝ち抜き形式のネタ番組で披露するネタが尽きてしまい改めてネタで勝負しようとしたが、中山はマネジャーから「コンビとしての負けを認めろ。その代わり、お前はこれから1人で戦っていけるから。芝居や音楽も含めて、バラエティとにかく頑張れ」と言われた。以降、単独での俳優や総合司会の仕事にシフトしお笑いタレントであることを求めた松野との方向性の違いが顕著になる。1992年にはお笑い第三世代に追われるように、ABブラザーズとしての活動は自然消滅。1998年に松野は、この時期の中山との関係をモチーフとして自伝的小説『芸人失格』(幻冬舎)を執筆する。
1991年にはフジテレビ『東京ラブストーリー』、TBS『デパート!夏物語』などの人気テレビドラマにバイプレイヤーとして参加。また、1992年から、日本テレビ『DAISUKI!』にレギュラー出演するようになる。松本明子や飯島直子らと交わす和気あいあいとした軽妙なトークと街歩き企画が視聴者の支持を集め、深夜番組であるにもかかわらず最高視聴率14.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)という数字を記録する程の人気番組となる。1994年にはドラマ『静かなるドン』への主演、翌年には音楽番組『THE夜もヒッパレ』(共に日本テレビ)への出演など多方面で活躍した。
1995年にはプロボウラーを目指しプロテストも受験するが、スコアが伸び悩み不合格となった。
1998年に白城あやかと結婚。明治神宮で挙式を挙げた。ちなみに白城との交際や結婚を最初に報じたのは写真週刊誌「FOCUS」であり、見出しには「お姫様と平民の結婚」と書かれていた。
結婚の1年後には飯島愛とのコンビでフジテレビ『ウチくる!?』が放送開始(飯島引退後は久保純子、その後中川翔子とのコンビに)、2005年秋には日本テレビ『ラジかる!!』の総合司会を担当し、関東ローカルながら久々に平日の帯番組を持つことになった(金曜日を除く)。中山をはじめとする出演者の自由な雰囲気でのトークやタカアンドトシ、ザ・たっちなど若手芸人の出演もあって夕方ながら高視聴率を叩き出す人気番組に成長する。翌年の春には『ラジかるッ』に改題して昼前の枠に移動、視聴率10%を超えたこともあった。下記のように否定的な評価が目立った80年代から90年代と異なり時代が尖った笑いから、「雰囲気作りのうまさ」や「人を傷つけない笑い」が高評価されるように変化した事もあり、この頃から業界や芸人内での中山への評価は好意的なものに変わっていく。
2009年3月30日から『ラジかるッ』・『おもいッきりイイ!!テレビ』の流れを汲み、統合された新番組『おもいッきりDON!』の総合司会に就任し、みのもんたに代わる日本テレビのお昼の顔となった。同年秋改編で第1部の総合司会をビビる大木と岡田圭右(ますだおかだ)に譲り、第2部の総合司会に専念するようになる。2010年3月26日で『おもいッきりDON!』としては終了し、同年3月29日より『DON!』にリニューアルされた。2011年3月25日で『DON!』は終了、代わって同年4月3日から放送開始した日曜朝8・9時台の『シューイチ』の総合司会に起用された。
2021年3月現在の地上波でのレギュラー番組は『シューイチ』のみのため、平日の番組を中心に他番組にゲスト出演する機会が増えている。1990年代や2000年代などでMCの番組でゲストやレギュラーで出ていた出演者が後に総合司会となり、それらのタレントの番組にゲストで出演するケースもある。例として『DON!』で総合司会を務めていた時の曜日レギュラーに有吉弘行がいたがその有吉が2012年以降MCを務めるレギュラー番組が増えると、有吉がMCを務めた『超問クイズ! 真実か?ウソか?』に中山がゲストで出演することもあった。
テレビでの活動にとどまらずYouTube番組への出演、演劇への出演や昭和歌謡などをカバーする『ヒデライブ』などの活動も度々行っている。
交流関係
事務所の先輩である松本明子とは公私に渡り交友関係にあり、失言により謹慎していた松本を励ましバラエティー班に誘ったのが中山であった。
若手時代にABブラザーズの前座を務めた経験がある爆笑問題とも共演の機会が多い。
木村祐一とも親交が深い。
中山と同じ群馬県出身のタレント・井森美幸と共に群馬県のPRを務める「ぐんま大使」を務めている。
第30回ベスト・ファーザー イエローリボン賞、芸能部門受賞。また、妻が元宝塚歌劇団トップ娘役だったこと等が縁となり、数々のタカラジェンヌと公私にわたって交流がある。2007年、舞台『SHOW店街組曲』で真琴つばさと共演し、2014年9月17日放送の『タイムショック』にゲストとして遼河はるひが出演する等、自身のレギュラー番組でタカラジェンヌがゲストとして出演することも多い。また、2014年6月19日放送のNHK-BSプレミアム『宝塚歌劇 華麗なる100年〜スターが語る夢の世界〜』でも司会を務めた。
フジテレビ『殿様のフェロモン』で共演した今田耕司とは番組に対する受け取り方の違い(詳しくは殿様のフェロモン#今田耕司と中山秀征をめぐるエピソードを参照)により反りが合わなかったが、2011年に共通の飲み仲間である松尾陽介(元ザブングル)の仲介により和解した。
吉田栄作とは挨拶が無視されたのをきっかけに初対面から2年間は不仲であったが、お互いに矢沢永吉のファンだという事が判明してからは打ち解けている。
後輩ではふかわりょうと仲がいい。ふかわが音楽活動を拡大していくか悩んでいた時に中山が「お笑いだけを極めるのは芸人としてもちろんかっこいいが、お笑いだけでなくオールマイティーに活動していくことも芸能界で生き残っていくためには重要」と背中を押したという。
大人になって以降も野球では熱心な読売ジャイアンツのファンであり、多くの球界関係者との交流がある。
志村けんを「師匠」と呼ぶ程慕っており、番組で共演したり、2000年からは誕生日会の幹事を務めるなど公私ともに交流があった。
趣味・特技
俳優では石原裕次郎や渡哲也に憧れていた。
業界用語(ズージャ語)を使う事を得意としており、度々披露している。
兄の影響で始めた書道に関しても度々腕前を披露している。
野球好きが高じて草野球チーム『ジェットキッズ』を結成した。
喫煙者であり、50歳になってからは電子タバコに変えた。禁煙はしたいものの踏ん切りがついていないと語っている。
評価
上述のような理由で芸能界入りし複雑な経緯で活躍の仕方が変わったため、自身の職業を「歌手でも俳優でもお笑いでもない」とし「テレビタレント」と名乗っている。また、太田光(爆笑問題)はそんな中山の才能を認めたうえで「苦労人」と評している。
『ライオンのいただきます』で司会を務めた小堺一機は中山の事を「芸能界に向いている」「好奇心があったから」「今のままで全然いい、自分の椅子を確立している」と評価している。
自身の芸能界における立ち位置については「子供のころからお調子者で、テレビの中の楽しそうな雰囲気に憧れたんです。だから、芸を極めるとかではなく、生放送にもうまく反応し続けて、何だか楽しそうな番組だなって雰囲気作りをすることが、僕の持ち味だと思ってきました」と語っている。
愛想の良さ、誰に対しても気さくな性格が高く評価されており、ファンおよびスタッフや共演者に親切に接する姿が報じられた事もある。
お笑い第三世代が台頭する以前はABブラザーズは関東のお笑い代表として扱われており、それに対する違和感からダウンタウン、今田耕司、東野幸治といった主に関西勢の芸人からは敵視されていた。
ナンシー関には「なまぬるいバラエティー番組全盛の状況が産んだスター。テレビを見ている私には全く関係のない『(芸能界内の)しがらみ・関係性・その他諸事情』のみでスムーズに回っているブラウン管の中の和気あいあい。中山秀征はこれらの象徴的存在だ」とコラムで言われていた。中山はこういった批判を「悪評も評価のうち」と自らを鼓舞し、そのスタイルと芸風を貫いた。
松本人志(ダウンタウン)の著書『遺書』(1994年、朝日新聞社)には「レギュラー番組を十数本持ったことを自慢していたタレント」を批判する文章が掲載されており、その人物が中山の事ではないかと一部で囁かれ共演NG説まで流れていた。一方で松本は『ラジかるッ』『シューイチ』のインタビューに『笑ってはいけないシリーズ』の番宣でVTR出演している。なお、中山は前述のお笑い第三世代の台頭を「絶対に勝てるわけがないと思った」、中山自身の台頭を「自分の意図しないところで人気者になってしまい、必死になって努力したが、ABブラザーズとしてのコンビとしての敗北を認めることで少し自分は変わった」と回想し、その思いをゲスト出演した『ホンネ日和』で中山の友人であり、松本とも友人関係にある木村祐一に漏らしている。また、同番組で司会を務め、松本や木村と面識のあるYOUは、この事実を知り「そんな苦悩を抱えていたとは知らなかった」と驚いた旨を述べた。
前述の通り、番組に対するスタンスの違いが生じた今田は後に考えを改め「『ラジかるッ』はむちゃくちゃ面白い番組だったのに、なんで終わったんだろうね」「いま考えたら、あの当時(『殿様のフェロモン』の頃)からテレビのことをわかってたのはヒデさんだった。今の自分だったら理解できるけど、あの当時はまったく理解できてなかったんだよ」「『あのときの俺は間違ってた』って今はハッキリ思う」「当時いちばんスターの秀ちゃんが、いちばん被害を受けたと思う。ほんまに申し訳ないとしか言いようがない」と反省の弁を語っている。
単独での活動に移行した直後は度々関西の番組にゲスト出演し上岡龍太郎、6代目 桂文枝(当時は桂三枝)、島田紳助、やしきたかじんと共演し可愛がられた。特にたかじんは中山を批判したタレントに対して「ヒデのどこがアカンねん! お前、中山秀征の何が分かっとんねん!」と反論していた。
エピソード
自身が番組でゲストを迎える時の接し方は「わが家に呼ぶのと一緒」と語っている。
「どんなときでも態度を変えないこと」が自身が長く活躍できた理由であったと述べており「少し売れると態度が変わり、落ちていく人をたくさん見た。僕は後輩に教えられることは特にないですが、(態度を変えないことを)やめなかったから、チャンスが回ってきたんだと思います」と語っている。祖母からは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と謙虚でいることの大切さを説かれたという。
自身のスタンスは「聞く耳は持つけれど鵜呑みにはせず、批判は受けるが迎合せず我が道を行く」であると語っている。
子育てで大事にしていることとして「うちはうち、人は人」「その家族のルールというものを自信を持って作っていくこと」と語っている。
子供の頃は夏休みの宿題は1週間で終わらせていたという。逆に兄はいつも「勉強しろ」と親に叱られていたという。中山によると兄は勉強はしていたが、親の見える所でやっていなかったとのことである。
芸能界デビューした頃は出身地の話をしないタレントも多くいたが、当時から中山や井森は群馬出身であることを積極的に話題にしていた。
違法薬物の存在および薬物乱用を「とにかく一度でも手を出してはいけない」「薬物を買うことで自分だけではなく社会を破壊していくと言うことになりますね」と批判しており、自身が出演している情報番組でも薬物事件の話題が取り扱われるほか、ラジオ番組でも麻薬取締官をゲストに招き違法薬物の危険性を啓蒙した。2019年に所属タレントや社員に向けて同様の内容を啓蒙したコンプライアンスセミナーも受講している。なお、過去に違法薬物に関連する飛ばし記事をスポーツ新聞に書かれたことがある旨をゲスト出演した『太田上田』(中京テレビ)で語っている。
お笑い芸人による闇営業問題については「会社を通せば会社の責任だけど、個人で受けたら個人の責任になっちゃう」「何のために(芸能事務所に)所属しているかっていうことを、改めて考えるべきではないかなと思います」と警告している。
「土曜スペシャル」について
「土曜スペシャル」は、、テレビ東京系列で毎週土曜日に放送されている単発特別番組枠。「土スペ」と略されることもある。
1986年4月19日より放送されている長寿番組の一つ。字幕放送を実施しており、2006年4月放送分以降はハイビジョン制作となっている。
単発特別番組枠でありながら、旅やグルメなどをテーマとしたオールロケ撮影による旅番組の体裁で進行する企画がほとんどである。『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』に代表される、観光紹介よりもゲーム性に主軸を置いた企画が多いのも特徴となっている。一方でスタジオからの生放送・事前収録となる回は少ない。
テレビ東京および同時ネット局での『土曜スペシャル』のタイトルロゴの表示は提供クレジット用のテロップを使って行われる。これにより、同時ネット局以外では『土曜スペシャル』の枠タイトルを冠することなく放送される。番組名には各企画の名前がそのまま使用され、新聞やEPG等の各種番組表に掲載される(同時ネット局でも、番組表では各企画の名前のみが掲載される場合がある)。タイトルロゴは番組開始当時である1980年代半ばに放送されていたテレビ朝日の『水曜スペシャル』によく似たものとなっている。
ナイトウ旅行社
2016年4月9日の放送時間縮小と同時に、番組枠のリニューアルを実施。スタジオパートとして内藤剛志が社長を務めるという設定の架空の旅行会社「ナイトウ旅行社」を設け、旅行プランに見立てたVTRをプレゼンテーションする形式で番組を進行していた。なお、『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』に関しては従来通り2時間半の特番として不定期に放送するなど、一部の企画は「ナイトウ旅行社」とリンクさせずに継続して放送された。このリニューアルにより、それまでに放送されていたシリーズ企画は『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』や『電車&バスで行く!すごろくの旅』を除いて『日曜ビッグバラエティ』など他の番組枠での放送に移行した。2016年10月以降は、後続の『家、ついて行ってイイですか?』(2017年3月まで)→『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』(2017年4月から)との隔週での2時間半のスペシャル放送が主体となり、2016年11月5日を最後に「ナイトウ旅行社」による企画はなくなり、同年3月までの体裁に戻った。
視聴率
2001年12月1日に放送された『日本全国年越し旬の美味こだわり鍋料理特集』は、民放4局及びNHK総合テレビが皇太子妃雅子の敬宮愛子内親王出産に伴う特別番組を放送していた中、17.5%という高視聴率を記録し民放トップに躍り出る結果となった(視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。この場合は極めて特殊なケースであったが、2014年1月4日放送の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」では第2部が「めちゃイケ600回記念スペシャル」など並み居る正月特番を抑えて、視聴率トップとなった。
2005年4月以降のシリーズ企画
ここで言うシリーズ企画とは、同じテーマ、共通するタイトルで複数回放送されたものとする。概要で述べたように、同じシリーズ企画でも『土曜スペシャル』以外の別の番組枠で単発放送されたり(特に年末年始)、移行したりしたものもある。また、テーマやタイトルを引き継いで別番組のミニ企画になったり、別番組の企画から派生して当番組枠の企画になったりする場合がある。
単発特別番組枠の性質上、基本的に内容は各回で完結するが、『軽トラで行く!激走!港めぐり旅』および『高速SA&PAルーレット旅』のように、前回の状況を引き継いで進行する場合もある。
※通算回数は2005年4月以降に放送された回のみを集計している。
※放送回により企画の名称が異なるケースが多いため、同様の体裁の企画を便宜上一つの企画としてまとめている(公式なシリーズ企画および区分とは限らない)。
ネット局
テレビ東京系列
全編ローカルセールス枠のため、テレビ東京以外の通常時同時ネット局であっても本番組を臨時に休止してプロ野球中継等の独自番組を放送する場合がある。その場合、本番組はテレビ東京と同じ時間帯で臨時に△または×(後日に振替、もしくは未放送)となる場合がある。この場合もBSテレ東での遅れ放送により補完できることがある(ただし、企画により放送の有無や遅れの期間は異なる)。
通常時○の局では本編終了後、翌週放送分の次回予告が放送されるが、翌週の放送を同時ネットしない際は別の番組案内に差し替えられる。
放送回によっては、テレビ東京の放送対象地域である関東地方のエリア向けに特化した企画となる場合があり、内容の地域性を考慮してテレビ東京(一部はそれに加えてBSテレ東や岐阜放送)でしか放送しない場合がある。それ以外の系列局は野球中継や過去に放送されなかった別の回に差し替える。未放送回のストックがない場合は映画作品を放送することもある。
2013年3月までは○の系列局が多かったが、同年4月より放送時間を18時30分からの2時間半に拡大した際、同時間帯では各系列局ごとに30分間のローカル番組を編成していたため、ローカル番組を優先し同時ネットを取り止める系列局が出ている(2020年4月現在、テレビ北海道とテレビ大阪がこのケースに該当する)。
備考
テレビ大阪では、2020年4月現在は『OSAKA土曜スペシャル』(自社制作の独自番組シリーズ、2018年3月までは『土曜エンタテインメント』)や『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』(2時間半スペシャルの2時間短縮版、または通常版の2話連続放送)と交互に放送しており、野球中継や『天神祭中継』(本宮となる毎年7月25日のみ)放送時は休止となる。放送する番組を問わず、前枠の『おとな旅あるき旅』からはCMなしで接続する。番組宣伝を兼ねて、同一企画の過去の放送回を放送当日の昼前後から午後に再放送することが多く、本放送時は短縮版だったものを全編フルサイズで放送することもある(『OSAKA土曜スペシャル』や『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』が放送される週も同様に再放送を行う機会が多い)。
テレビ北海道でも、テレビ大阪と同様に『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』と本番組(プロ野球のシーズン中は野球中継も含む)をおおむね交互に放送しているほか、2019年4月以降は第3週に自社制作番組の『土曜旅館 桜の間』を放送するため臨時に×に変更する。
テレビ愛知では、2016年3月まで19時台に自社制作番組の『探Q!Aトリップ』を放送していたが、同年4月より本番組を○に変更した。
テレビせとうちでは、2018年4月から2020年3月まで自社制作番組の『プライド せとうち経済のチカラ』を18時30分から19時に、また2018年9月までは第4週の19時から19時54分に同じく自社制作番組の『ロケットぱぁんちG』を放送していた関係で、本番組は『土曜ゴールデン』と題した19時から20時54分までの2時間枠での放送となり、テレビ北海道やテレビ大阪と同様の不定期放送となっている。2020年4月より『プライド せとうち経済のチカラ』が日曜日12時台に移動したため、順次再度○に変更している。ただし、テレビ大阪制作の単発番組(上記の『OSAKA土曜スペシャル』など)、ファジアーノ岡山FCの試合中継、ボートレース中継などの番組編成で臨時に×に変更になる場合があり、該当回が放送される場合は同時刻での遅れネットや祝日にされる。(その場合は字幕放送には対応しない)
テレQでは2006年10月の『きらり九州めぐり逢い』開始後は不定期放送となり(2017年10月より土曜日14時台に移動し、現在は20時台に『ちょっと福岡行ってきました!』を放送)、2012年11月からはそれに加えて『土曜の夜は!おとななテレビ』を開始したことにより×となり、定期ネットを完全に取り止めた(2020年4月現在、系列全体で本番組を定期ネットしていないのはテレQのみである)。ただし『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』を中心とした一部の企画を、祝祭日や年末年始の昼頃の時間帯に短縮なしの完全版や土曜日の12時00分から13時59分までの短縮版(Fan!Fun!スポーツ休止の場合は午前11時30分から)にて放送することがある。
テレビ東京系列以外
独立局6局のうち4局は同時ネット、独立局2局と他系列局は遅れネット。他系列局は特定の企画や回のみ番販ネットするが、単発特別番組枠の性質上、放送回により県内のネット局が変わることがある。
同時ネットの独立局4局では『全国高校サッカー』の録画中継、テレビ大阪の野球中継の同時ネット時(岐阜放送以外の3局)、ジャパネットたかたの生放送テレビショッピング(岐阜放送とびわ湖放送のみ)、自社制作の特別番組(奈良テレビのみ)を放送する場合は休止となる(奈良テレビのみ、遅れネットの場合もあり)。
また、通常時定期ネットをしていない放送局であっても、単発番組として本枠の企画を放送する場合もある。
ブラウザゲームとの連動企画
株式会社マピオンの運営するブラウザゲーム『ケータイ国盗り合戦』において、本番組の企画「電車&バスで行く!すごろくの旅」「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」とタイアップしたキャンペーンゲームイベント「国盗りすごろく旅」を2013年8月13日から11月5日まで行うことが発表された。マピオンと株式会社テレビ東京コミュニケーションズの共同企画である。
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