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この記事の目次
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「内村航平選手の引退会見」人生の半分以上 日の丸背負えたのは誇り
現役引退を発表した内村航平選手が出場したオリンピック4大会をハイライトで振り返ろう🤩
美しく卓越した演技で輝かしい功績を残し、オリンピック・体操の歴史にキングとして名を刻みました👑#オリンピック #内村航平 pic.twitter.com/Sna0g9d418
— オリンピック (@gorin) January 12, 2022
オリンピックの体操で個人総合では2連覇、世界選手権で6連覇を果たした内村航平選手が都内で引退の記者会見を開き「今のところ特別な感情はないが、人生の半分以上、日の丸を背負ってやってこれたのは誇りだ」と心境を語りました。
内村航平選手の発言詳細
内村選手は、会見の冒頭で「引退会見で特別な感情はなく、ただただ引退するんだなという感じで実感はあまりない。3歳から好きで体操を始めて1月3日で33歳になり、30年の体操歴のうち16年間強化選手として活動した。人生の半分以上日の丸を背負ってこられたことは誇りですし、今後、何をするにしても自信を持って発言していけると思っている」と述べました。
引退を決めたタイミングについては「オリンピックが終わって世界選手権に向かう道中、練習していく中でこのまま先が見えないと感じた。世界選手権の前にはこれが最後だと思っていた。世界選手権に挑み、最後の最後は決勝に進んで着地を決めたいという気持ちでそれをやりきれた。下の世代にこれが体操だ、本物の着地だと見せられてよかったかなと思っている」と話しました。
そして「3月12日に最後の舞台を東京体育館でやりたい。全身痛い体にむちを打って、6種目をやろうかと思っている。どういう形でやるかはしっかり打ち合わせをしてほかの選手も呼びたい。自分の最後の演技を見てもらって最後にしようと思う。最後に6種目をやるということで、東京オリンピックの代表になるより苦しいことをやらないといけないので憂うつだが、そこまではしっかりやりきりたい」と笑顔を浮かべながら話しました。
現在の心境について「やれるならいつまででもやりたいと思っていた。しかし世界選手権に向かうまでに選手として本気でやっていくのは難しいと感じたので引退を決めた。重くも、すっきりともとらえていない」と話しました。
感謝したい人について聞かれると、「いろいろな人がいるがその中でも佐藤コーチだ」と話し2016年にコーチに就任した高校の後輩でもある佐藤寛朗コーチの存在をあげました。
そのうえで「この5年間マンツーマンでやってきてかなり迷惑をかけた。最後、東京オリンピックで金メダルをかけたかったがそれができなくて残念だ。体操を研究してきて、この場では語り尽くせないほど濃い時間を過ごしてきた。ここに立っているのも彼のおかげだと感じている」と話しました。
自身の演技でこだわった点について「着地だ」と述べたうえで「鉄棒の着地やすべての種目でこだわってきた。世界チャンピオン、オリンピックチャンピオンとして着地を止めるのは当たり前だと思ってやってきた。現役選手として最後の舞台になった(去年10月の)世界選手権の最後もどういう演技でもいいので『着地は絶対に止めてやろう』と思ってやることができた。そこは自分がこだわりを持ってやってきた。最後の意地を見せられた。着地を止めているという印象が皆さんもあると思うし、僕自身も追い求めてやってきた」と話していました。
これまでで印象に残っている演技について「2011年の東京で開かれた世界選手権個人総合の決勝の6種目と、リオデジャネイロオリンピックの個人総合の鉄棒だ」と述べました。
そのうえで「いまでも感覚、視界が記憶に残っている。2011年の世界選手権については、今まで感じたことのないゾーンみたいなものを感じ、朝起きる前からきょうは何をやってもうまくいくという感覚で目が覚め、試合が終わるまですべてうまくいった。これはもう一生出ないと感じた」と振り返りました。
またリオデジャネイロ大会の鉄棒に関しては「大きな点差を逆転でき、オリンピックの体操の歴史に残る激闘をオレグ選手とできた。オリンピックの会場を2人で支配できた感覚が今でも残っている」と述べました。
今後の活動について「これを絶対やりたいという一つのことはない。日本代表の選手や後輩たちに自分の今まで経験してきたことを伝えたり、小さい子どもたちに体操は楽しいと伝える普及活動をしたり体操を関わるすべてのことをやっていけたらと思う。体操に関わるいろいろなことにチャレンジしていきたい」と話していました。
体操に対する思いについて「ありがとうとかそんな軽いことばでは感謝を伝えられない。自分は体操しか知らないのでこれだけ体操というもので内村航平が作られ、人間性だけでなく、競技の結果も残せた。感謝している気持ちを返していかないとという気持ちがすごく強い。今後は、体操について僕が世界でいちばん知っているという気持ちになりたい。極めるというよりずっと上まで行きたい」と話しました。
内村選手は引退を決めた世界選手権の前の状態について「体の痛みというよりは日本代表選手として世界一の練習を積めなかったことでもう体操をやっていくのは難しいと思った。体の痛みというよりもモチベーションとかメンタル的な部分が大きい。以前であればどんなにしんどい日でもやりきることができたが、世界選手権前はオリンピックで予選落ちしたこともあり気持ちを上げていくのが難しかった」と話しました。
4大会連続で出場したオリンピックについて「自分を証明できる場所だった。オリンピックが行われる年以外に毎年、世界選手権があって、そこで世界チャンピオンになり続けて『果たして自分は本物のチャンピンなのか』ということを疑い続けてそれを2回オリンピックで証明することができた。自分を証明する舞台だったと思う」と話していました。
2016年のリオデジャネイロオリンピック以降の苦しんだ時期について聞かれると「リオ大会からのここまでは練習が思うようにいかなくなり痛いところも気持ちでカバーできなくなっていったがその中でも練習を工夫するようになった。そして、プロになって普及のことなど体操の価値を上げるためにいろいろなことを考えた。結果はリオ大会までとは程遠いが体操を突き詰めるうえで1番濃い5年間だった。栄光も挫折も経験できたことで今後、金メダリストを目指す人たちに経験を伝えていくうえで貴重な体験だった」と振り返りました。
まだみせていない技があったかと聞かれると「未発表の技はいくつかあるし、試合でやっていれば『ウチムラ』という名前がついた技もあるかもしれないが個人総合でトップを維持するためには必要なかったのでやらなかった。自分の名前の技がついてない状態での引退となるが、それもありかなと思う」と話しました。
内村選手は印象に残っている演技として挙げた2011年の世界選手権について「人生でいちばん心技体がそろっていた時期で練習量もそうだし、練習の質もすごく高かった。メンタルもあのときが1番強かったなと思うし、痛いところも全くなかった。自分は何をやってもできると思っていた時期で、世界で1番練習していた。自分の演技、体操に対してものすごく自信を持っていた」と振り返りました。
そのうえで「失敗をする気がしないという次元ではなく、この場をどう楽しもうかという強さとはかけ離れた、自分1人だけが楽しんでいる状況だったので、それが強かったと思う。その次の年にロンドンオリンピックがあってその“ゾーン”を再現したいと思ったが、“ゾーン”はねらってやれるものでないと感じた。あれを1回経験できただけでも人間を超えられたと思う」と話していました。
後輩たちへのメッセージを問われると「体操だけうまくてもダメだと思う。若いときは、人間性が伴ってなくても強ければよいと思っていたが結果が出る中で人間性が伴わないと誰からも尊敬されないし発言に重みがなくなると感じた。自分は小さい時から父親に『体操選手の前に1人の人間としてちゃんとしていないとダメだ』と言われてきた。大谷翔平選手も羽生結弦選手も人間として尊敬できるから支持される。そういうアスリートが本物だと思うのでこれからの体操選手には高い人間性を持ってほしい」と話しました。
自分の礎を築いた技について「僕がここまで技を習得できたのは技を覚える楽しさを知っているからだ。技を覚えたことでうれしかった記憶があるのが『蹴上がり』という技で、小学1年生か小学校に入る前ぐらいの時であの時の記憶を今でも覚えている。自分は技を覚えるのが遅い方で、蹴上がりを覚えた時の感動は今でも忘れられない。あれがあるからこそ500ぐらいの技を覚えられた原動力になっている」と話していました。
また印象に残っている技について跳馬の「リー・シャオペン」と鉄棒の「ブレットシュナイダー」を挙げ「『リー・シャオペン』は習得してきた技の中でいちばん難しかった、いちばん動画を見る回数も多かった。実際にできても本当にできているかをずっと考えながらやっていった。いまだに難しいと思う。『ブレットシュナイダー』に関しても本当に試行錯誤を重ねてあの領域まで行けた。ひとつの技に対してそこまで追い求められるからこそ成功率も高いと思っているのでそういうところは下の世代の選手にも追い求めていってほしい。答えがないから追い求め続けることが大事だと後輩に言いたい」と話していました。
引退を決断した際に葛藤があったかと聞かれると「もし続けるとしてもあと1年とかではなく次のオリンピックを目指したいと考えていた。ただ、あと3年となると『そこまでは無理だな』と考えたので結構すんなり決断した。東京オリンピックが終わってから世界選手権までの間だけでもこれだけしんどいのでもう無理だと思った」と話していました。
子どもたちへのメッセージを求められると「何でもいいと思うが自分の好きなことを1つ見つけられればそれが大人になっても続いていく。好きなことをやり続けることで勉強や習い事などでも『こう頑張ればいい』とか『こう続けていけばいい』と転換ができる。自分は体操をやる子どもが増えてくれればうれしいので自信を持って子どもたちに体操を勧められるように研究していきたい」と話していました。
内村選手は、およそ1時間にわたって報道陣からの質問に答えたあと、花束を受け取りました。そして笑顔で記念撮影に応じ引退の記者会見を終えました。
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「内村航平」について
「内村航平」は、日本のプロ体操競技選手。オリンピック4大会(2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ、2020年東京)に出場し、個人総合2連覇を含む7つのメダル(金メダル3、銀メダル4)を獲得。また、世界体操競技選手権でも個人総合での世界最多の6連覇を含む19個のメダル(金メダル10、銀メダル5、銅メダル4)を獲得している。2009年世界体操競技選手権から2016年リオデジャネイロ五輪までの個人総合で8連覇を達成している。個人総合では国内外において2008年の全日本選手権から2017年のNHK杯まで約9年間に渡り無敗の40連勝を記録し、「史上最高の体操選手」との呼び声も高い。
1989年 (昭和64年)1月3日、福岡県北九州市に生まれる。
父・内村和久は日本体育大学体操競技部出身で柳川高等学校時代に高校総体の種目別で優勝しており、母・内村周子も元体操選手、妹の春日(はるひ)も元体操選手(日体大)という体操一家である。1992年(平成4年)に両親が『スポーツクラブ内村』を開設し、母・周子の出身地長崎県諫早市に帰郷したのを機に、3歳で体操を始めた。
両親の反対を押し切り、諫早市立諫早中学校卒業と同時に、塚原直也に憧れて上京し、朝日生命体操クラブに入門した。東洋高等学校を経て、日本体育大学体育学部体育学科に入学。大学では体操競技部に所属し、4年時には主将を務めた。高校生の時あん馬の種目で2点をたたき出したことがある。
2010年TBS系ドラマ『タンブリング』第1話にて鷲津学院の生徒役でカメオ出演している。
日体大卒業後の2011年(平成23年)4月、山室光史とともにコナミスポーツ&ライフ(現コナミスポーツクラブ)に入社。
2012年11月11日、一般女性と入籍。
2013年4月19日、夫人が第1子となる女児を出産した。
2014年、totoのCMで13人のアスリートたちと『Stand by Me』のメロディを歌い継いだ。
2015年、第2子となる女児が誕生。
2016年11月、コナミスポーツクラブを退社してプロ活動を開始。
2016年12月、アシックスジャパンとスポンサー契約を結ぶ。
2017年3月1日、長崎ちゃんぽん店などを展開するリンガーハットと所属契約を結ぶ。
2017年1月、復興大臣からの委嘱で東日本大震災の被災地を支援する「復興応援大使」に就任する。
2020年10月29日、新型コロナウイルスのPCR検査で陽性の判定を受けたことが発表されたが、30日に3か所で受けた再検査が全て陰性と診断され、「偽陽性」であったと判断された。
2020年12月31日をもって、リンガーハットとの所属契約を終了した事が翌2021年1月に公表された。
2021年3月17日、都内で会見し、自動車販売などを手掛ける「ジョイカル」と所属契約を結んだことを発表した。契約期間は24年3月16日までの3年間。
2022年1月11日、自身の公式サイトに於いてマネジメント事務所である「スポーツコンサルティングジャパン」名義で文書をリリースし、現役を引退することを発表。後日、内村本人による正式な引退記者会見を催す予定という。
「内村航平」の特徴
オリンピック、世界選手権の種目別で複数回優勝経験のあるような専門的な種目はないが、全ての種目を高レベルにこなすオールラウンダーである。得意種目は2018年現在鉄棒(体操NIPPONオフィシャルファンサイトより)。世界選手権の種目別ではゆかの他、鉄棒と平行棒で優勝経験がある。
幼い頃から両親の営むスポーツクラブ内村でタンブリング・トランポリンに親しみ、中でも当時、愛読していた漫画『ガンバ!Fly high』の影響で鉄棒とゆかにのめり込み、既に小学校高学年の時には(トランポリン上で)ひねり技を身につけるなど、高度な空中感覚に加え安定した着地感覚を身につけた。
日本代表となった後も、新たな技に取り組む際はトランポリンを使って技の感覚を覚え体の動きをチェックしている。着地と空中姿勢には定評があり、2011年の世界選手権でロンジン・エレガンス賞を受賞。日本勢の受賞は2007年の冨田洋之・2010年の田中理恵に続いて3人目。
2016年リオデジャネイロオリンピックで個人総合の最終種目「鉄棒」の演技中、人生初のぎっくり腰になった。また試合中、他の選手は得点を見るが本人は全く見ないとバラエティ番組「スポーツ天国と地獄」で明かしている。
かつては極端な偏食家であり、野菜を連想させる緑色も大嫌いというほどの野菜嫌いで食事はほぼ米と肉のみだった。好物はバナナとチョコレート類。特にひいきだったのは有楽製菓の「ブラックサンダー」で、北京オリンピックには40個持ち込み、「勝負食」として競技前に食べていたことなどが報道された。また、喫煙者である。コナミスポーツ&ライフへの入社後に同社の指導により食生活の改善に取り組み、野菜を食べるようになり、チョコレートも断っているが、野菜は完全な克服には至っていない。また、食事は20歳から1日一食のみ。
愛読書は『ガンバ!Fly high』で、好きな体操選手は主人公の藤巻駿。好きな人物は織田信長・坂本龍馬、好きな城は姫路城。好きな音楽アーティストはAK-69。運転中や移動中、試合前などに中毒になるほどずっと聞いていると本人が明かしている。
「内村航平」の経歴
2007年(平成19年)ユニバーシアードの団体と種目別ゆかで優勝。2008年(平成20年)、初めてのオリンピック代表選考である二次予選では、二日間ともに冨田洋之を抑えてトップに立ち予選通過。最終予選のNHK杯体操選手権では優勝こそ冨田に譲ったが2位に入り、北京オリンピックの出場権を獲得した。
オリンピック本大会では、団体戦メンバーとして19歳で最年少ながら安定した堂々とした演技を披露、男子体操団体で日本の銀メダル獲得に貢献すると、その2日後の男子体操個人総合決勝では、苦手とするあん馬で2度の落下がありながらも他種目で23人を抜き、最終的には2位となって銀メダルを獲得した。日本人選手の個人総合でのメダル獲得は北京五輪代表監督の具志堅幸司がロサンゼルスオリンピックにおいて金メダルを獲得して以来24年ぶりであると同時に、10代での獲得は史上初である。
2008年(平成20年)、全日本選手権で個人総合優勝を果たす。それまで男子体操を牽引していた冨田洋之が同年末をもって引退し、名実ともに日本の新たなエースとなった。2009年世界体操競技選手権(ロンドン)の個人総合決勝ではゆか、跳馬、吊り輪、鉄棒の4種目で1位の得点を記録し、トータル91.500で2位に2.251点の大差をつけて初優勝を達成。20歳での獲得は日本勢史上最年少であった。2010年世界選手権(ロッテルダム)でも全種目で15点以上のトータル92.331点で2位に2.283点差をつける圧勝で、日本人初の個人総合2連覇を達成した。また同年12月の全日本選手権種目別跳馬で、新技「伸身ユルチェンコ3回ひねり」を成功させている。
2011年世界体操競技選手権(東京)は、社会人となってから初めての国際大会でもあったが、個人総合で全種目で3位以内の得点を記録し、国際大会自己ベストの93.641点をマーク。2位のP・ボイに3.101点の大差をつける圧勝で、世界選手権史上初の個人総合3連覇を達成した。種目別には跳馬以外の5種目に出場。ゆかではG難度のリ・ジョンソンを成功させて金メダルを獲得。内村のひねりが速く、審判がこれを見落としていたため、日本チームの指摘により得点が訂正された。ゆかの種目別金メダルは1974年(ヴァルナ)の笠松茂以来34年ぶりの快挙。鉄棒でも銅メダルを獲得した。今大会での個人総合3連覇によりロンドンオリンピック代表選手に内定した。
2012年のロンドンオリンピックは、各国のメディアから個人総合「金メダル確実」と評され臨んだが、予選で鞍馬と鉄棒で落下するミスをしてしまう。男子団体では5種目で安定した演技を見せるも、最終種目鞍馬のフィニッシュで倒立から着地に移行する際に態勢を崩したため倒立の得点が認められず、一時は4位になったが日本選手団の正式な抗議により得点が見直され2大会連続の銀メダルを獲得した。しかし、インタビューでは「4位でも、2位でも、僕は、あまり、変わらなかった、と思う」と話し、笑顔はなかった。過去に例を見ない不調に個人総合金メダルへの心配する声も上がったが、団体でミスをした鞍馬を15.066点で乗り切ると3種目目の跳馬で完璧な着地を見せ16.266点の高得点で首位に立ち、全6種目を全て15点台以上でまとめるなど安定した演技を取り戻して最終得点は2位に1.658点の大差をつける92.690点をマークして金メダル。2大会連続のメダル獲得は前述の具志堅幸司以来28年ぶり。これまで長崎県は九州で唯一個人、団体種目を通じて金メダリストが出ておらず、内村は長崎県出身者として初めての金メダリストとなった。種目別決勝のゆかでは、一人目の演技者として登場し、15.800点で銀メダルを獲得した。埼玉県から彩の国功労賞を受賞。
2013年世界体操競技選手権(アントワープ)の個人総合では、予選で91.924点を記録して2位に2.394点差をつけてトップ通過。決勝でもただ一人全種目で15点台かつ3位以内を記録する安定した演技でトータル91.990点をマークし、2位の加藤凌平に1.958点差をつけて個人総合4連覇を達成。種目別では平行棒で金メダル、ゆかと鉄棒で銅メダルを獲得した。
2014年世界体操競技選手権(南寧)の団体総合決勝では5種目を終えた段階で日本がトップに立ち、その後日本が最終種目の鉄棒を先に終えて2位の中国の結果を待つという状況だったが、中国が鉄棒で高得点をマークして日本を逆転したため、自身初の世界選手権団体優勝はならなかった。個人総合ではただひとり全種目で15点以上の演技(ゆか、跳馬で1位)を見せて91.965点を記録し、2位のマックス・ウィットロックに1.492点差をつけて連勝記録を5に伸ばした。この個人総合での金メダル獲得で世界選手権での通算獲得金メダル数が7個目となり、監物永三と中山彰規が持っていた日本人選手最多記録に並んだ。また銀と銅をあわせたメダル獲得数でも15個目となり、監物永三と並んで日本人最多タイとなった。この後、種目別鉄棒で銀メダルを獲得し、世界選手権の獲得メダル数は日本人歴代最多を更新する16個となった。
2015年世界体操競技選手権(グラスゴー)では、10月26日に出場した予選4種目目のゆかで競技開始前に前演技者の採点で10分以上待たされ、競技中にも前方宙返りで頭部を強打するアクシデントがあったが、個人6種目計でトップの90.654点をマーク。団体総合でも日本は358.884点で中国を抑えトップ通過。28日の団体総合決勝では鉄棒のカッシーナで落下するなど内容は完璧ではなかったが、6種目計で91.531点をマークし、世界選手権の団体総合では37年ぶり(オリンピックも含めた世界規模の大会では2004年アテネオリンピック以来)となる日本の金メダル獲得に貢献した。世界選手権での通算金メダル獲得数は8個となり日本人選手歴代単独1位となった。30日に行われた個人総合では、ゆかと跳馬で1位の得点をマークするなど、全6種目で5位以内に入る安定した演技で92.332点をマークし、2位のマンリケ・ラルドゥエト(キューバ)に1.634点の大差をつけて連覇を6に伸ばした。11月1日にも種目別鉄棒で自身初の金メダルを獲得。この大会で3個の金メダルを獲得し、自身が持つ世界選手権での日本人選手最多メダル獲得数記録を金10、銀5、銅4の計19個に伸ばした。また、オリンピックで獲得したメダル5個と併せた世界大会でのメダル獲得数も24個となり、監物永三と並び日本人選手歴代最多タイとなった。
2016年リオデジャネイロオリンピックでは、予選の鉄棒で落下のミスにより種目別決勝を逃し個人総合では2位で決勝に進出。団体では全6種目に出場し、全てにおいて安定した演技を披露し、体操日本としてはアテネ大会以来12年ぶり自身にとっても悲願であったオリンピックでの団体金メダルを獲得。個人総合では4種目を終えた時点で、ウクライナのオレグ・ベルニャエフと0.401差の2位につける。5種目目の平行棒で0.901差に広がり逆転が厳しい状況になったが、最終種目の鉄棒では演技中にぎっくり腰を発症しながらも15.800の高得点をたたき出し、合計点92.365でベルニャエフを0.099差でかわし逆転で個人総合2連覇と団体との2冠を達成。オリンピックの個人総合連覇は歴代4人目、日本人では加藤沢男以来44年ぶりの快挙となった。
2017年世界体操競技選手権(モントリオール)では、2種目目の跳馬の着地で負傷し途中棄権した。この棄権により2009年から続いた世界選手権個人総合での連勝記録は6で途絶えた。また、その他の国内外の大会を含めても2008年全日本学生選手権以来9年ぶりの敗北となり、個人総合の連勝記録は40でストップすることになった。
2018年は9月に練習で負傷したことから個人総合を断念。世界選手権の団体では4種目で演技し銅メダル、種目別鉄棒で銀メダルを獲得した。
2019年は日本選手権で予選落ちし、12年ぶりに日本代表の座を逃した。
2020年からは鉄棒に専念することを表明。全日本体操種目別選手権の予選で、2019年世界選手権優勝者の得点(14・900点)を圧倒する15.333点を記録。決勝ではそれを上回る15.700点を記録して優勝した。
2021年7月24日、東京オリンピックに個人種目別鉄棒で出場したが、離れ技の後の中盤のひねり技で鉄棒から落下し、予選落ちとなった。 得点は13・866点にとどまり、決勝に進む上位8人に入れず敗退。 リオ五輪後は肩のけがなどに悩まされ、今回は種目別の鉄棒に絞って出場した。
2021年10月、コロナ禍の中、生まれ故郷である「北九州市」で世界体操選手権が開催された。体操種目別鉄棒に出場し、6位とメダルは逃したものの、無観客での東京五輪後初の有観客での国際大会開催を英断した故郷・北九州市に感謝するため、Tシャツに「ありがとう北九州」と書いて客席に投げ入れるなど、観客と喜びを共有した。
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